こんにちは、麗です。
日本ではオリンピックが始まりましたね。
主人の兄からSMSが届いて「オリンピックの開会式が始まったよ。(テレビ局の)France2で見られるよ。」と
教えてもらい、私たちもテレビをコンピューター経由で見ました。
パリの街では、バス停の広告にトヨタ社のオリンピック広告が提示されていました。
今回のオリンピックにおいては、開催前にいくつもの問題があったようですが
日本にお越しになられた選手のかたがたと、関係者のかたがたの
心地よいご滞在を願います。
(選手村の部屋のベッドには個人的に幻滅しました。)
今日は、子育ての話をします。
子供の学校も7月6日で終わり、夏休み真っ只中なので
私たちはミュゼや、公園へと家族で繰り出しています。
先日はミュゼへ行ってきました。
我が家では、子供に本物の美しいものを見せています。


@Klimkin@ pixabay
愛しの子供たち。彼らは、親を選んで生まれてくるのか。
不思議な話だ。
私は非常に若いころから、それも結婚するずっと前から、「将来子供を生むのなら、絶対に男の子が欲しい。」と考えていた。
男の子を生んで、美しい紳士を育てるのだ、と何故か勝手に思い込んでいた。
結婚し、妊娠がわかってからも、その思いは変わらなかったが
当然、子供の性別などコントロールできるはずもない。
(この広い世の中には「産み分け」なる方法が存在するそうですが、試すようなチャンスはありませんでした。)
ところが、私の頭のなかでは、やってくる子供のイメージがあった。
美男子で、髪の毛はシルクのように細くて、つやつやさらさらで、瞳の色はやや薄い茶色で、アーティストだ
・・・とそれはまるで、勝手なイマジネーション・・いや妄想のように、イメージしていたのだ。
妊娠が判明してから、しばらくは、子供の性別はわからない。
毎月の検査の度に私は、子供の性別について、検査技師にたずねていたが
「今月もまだわかりませんね。来月に期待しましょう。」との返事。
私の中では、常に上に書いたような「勝手な妄想なのか」とでも問いたくなるような、子供のイメージが
あったが、私は自分自身を反省しだした。
「私の願っている、どうしても男の子という願いは、私のエゴかも知れない。
人命に対する冒涜だ。男でも女でも良い。
どんな子供でも大事に育てて、一緒に人生を満喫しよう。」
私はそう、考え直し始めていた。
翌月の検査で、ようやく性別が判明。検査技師がモニターを見つめて「あっ!」と指をさした。
「男の子ですね。」
私は飛び上がるほど、喜んでしまった。(・・・反省したのではなかったのか・・・?)
結局、私は待望の男の子を出産した。
ところが、この私の息子、なんと私がイメージしていたそのままの姿で生まれてきた。
私が妄想なのか、と思っていた子供のイメージは、実は「現実」だったのだ!!
シルクのように細くてつやつやの髪、大きな瞳はやや薄い茶色で
毎日、朝から晩までデッサンを描いている。
学校の先生も、みなが言う。「彼はアーティストですよ。」
どのようなことをするのも息子の自由にしてもらっていいけれど、
ふと気になって、息子の出生ホロスコープを見てみたら
アセンダントのザビアンシンボルが「未来派の絵を書く男」だった。
私はそれを見て思いました。
「ははあ! この子は、パリの美術館めぐりが大好きな、母と共に過ごしたいのだな。」
私自身、子供時代には絵ばかり描いていた。
この子は、私と人生を共にする、私自身の一部なのだ、と思う。
人生をかけて、この子供を愛してゆこう。
どんな子供でもいい。
居てくれるだけでいい。
存在してくれるだけでいい。
存在してくれるだけで、無限の愛を受け取れる、それが
人の命だ、とそう思う。
それこそが、多くのマスターや宗教家、天界の存在が伝える
この世の真実なのだ。
そして、自分自身を愛することが出来るまで到達した人にとっては
子供の存在も「愛」だし、
自分自身を愛せない、またはそこまで到達していない人にとっては
子供の存在も「愛」の対象ではなく
ときには「虐待」の対象になってしまう。
世の大人たちよ、まずは自分自身を愛しなさい。
命は「なにもなくとも存在するだけで愛」なのだ。

人の運命を知りたいと思ったら、占星術のホロスコープに、それは書いてある。
ところで、私は中学生の頃から、占星術や四柱推命を学び、
更に、霊能者の先生にもついていた。
(何故なら、私はサイキックとして生まれ、他の人々が見えない色々なものが見えていたので
霊性について、小中学生からずっと学んでいたわけです。)
人間はひとつの生を終えると天界からの光りと共に「アストラル界」とよばれる場所へ行き
そこで自分自身の、終えたばかりの人生について振り返り、
リハビリを受け、リハビリを終えた後には、天界・アストラル界におられる
多くのマスターと共に、次の人生について、どのような人生にするか決定をする。
このときに計算されるのが、宇宙の星の配置だ。
通常、私たちが使用するのは、主要となる10天体(太陽・月・金星・水星・火星・木星・土星・海王星・天王星・冥王星)だが、
実際には宇宙にはもっと多くの星があり、それらの影響を受けている。
運命を知りたいと思ったら、それはホロスコープや四柱推命の中に書いてある。
それらを指針としてもよい。
ただし、そこに書かれていることだけ、に執着せずに、多くの選択肢と共に生きること。
これが、サイキックであり、しかも中学時代から色々と学んできた
私がお勧めする方法だ。
占星術で私の子供のホロスコープをみると、
「神の指」と呼ばれる特殊アスペクト「YOD(ヨッド)」を持っている。
このヨッドを持つ人々は、神様との契約を持つのだという。
私は彼のホロスコープを見たときに、「この子は間違いなく私の子供だ」と思った。
私自身、このヨッドを持っているが、結果は自分自身がサイキックである。
この「ヨッド」と呼ばれる特殊アスペクトは、星どうしのかみ合わないアスペクトが訓練を与える。
それはまるで神から与えられた訓練のようだという。
そして訓練しだいでは「天才性」を発揮する場合もあるのだという。
ヨッドを持つ人で有名なのは、野球選手のイチロー氏ですが
この方の天才性についてはここで、語るまでもない。
運命は四柱推命でも見られるが、
四柱推命で彼の運命を見ると、四柱推命で最も幸運だとされる、「三宝の命」を持つ子だ。
どんな幸福な人生を歩んでゆくのだろう。
さて、精神世界では「人間は自分の人生について、環境を事前に選んで生まれてくるのだろうか。」
という問いが、いつの時代においてもなされますが、
これについては全ての人に当てはまるわけではない。
何故なら、現在、地球におられる人々の中には
「輪廻」を果てしなく続けてしまっている人々がいて、
この「輪廻」を自分自身で、解決して学ばないことには、上に書いたような「転生」にたどり着けない。
ここで「輪廻」と「転生」の違いを書いておきますが、
「輪廻」は死んだ後にアストラル界へ行ってリハビリをすることなく
新たな生命に(生まれる子供の肉体に)入ってしまって
また前回の人生と同じような人生を繰り返してしまうこと。
「転生」は上に書いた通り死後にアストラル界へ行って、次の転生を決めること。
その場合は、人生における「学び」も進化している。
お釈迦様はおっしゃいました。
「2度と輪廻を繰り返してはならない。」つまりちゃんと、
自分の人生で悟りを開きなさい、と。
大切なことは、その輪廻を一刻も早く解決して、よりよい転生に向かい、人間として
新しい転生を始めるためにも、毎日を大切に、なによりも
「自分自身の生命を大切にする」ことです。
ここが最も重要で大切な点になります。
さて精神世界では、しばらく前に話題になっていたことがあります。
それは「虐待される子供というのは、虐待される環境を選んで生まれてくるのだから
虐待されてもいい」という話。
私はこの話に明確な答えを持っています。
今日は、ここに実際に「虐待にあった経験のある方々」へのメッセージを載せたいと思います。
この地球上にはやっていいことと、やっていけないことのルールがあります。
あなたを虐待した人々はそのルールを守れていません。
人間には「自由意志」という法則があって、人間ひとりひとりが好きに生きている状態です。
だから「ルール」など気にしない人がいても不思議ではないのが実態です。
ルールを守れない理由は様々でしょう。
未熟性なのか。不幸だからなのか。自分を大切にできないのか。
上に書いた通り、自分自身を愛することが出来るまで到達した人(親)にとっては
子供の存在も「愛」だし、
自分自身を愛せない、またはそこまで到達していない人(親)にとっては
子供の存在も「愛」の対象ではなく
ときには「虐待」の対象になってしまうのです。
あなたは生まれる前にアストラル界で人生を決定してきたのか
それとも、輪廻を繰り返しておられるのか、それはひとりひとりを見なければ
わからない話ですが、
そこに、「虐待されてもいい」などという設定はありません。
相手は未熟だから虐待するのだと理解してください。
助けを求めてください。情報を探して、どうすれば自分を救うことができるのか、探ってください。
自分を大切にすることを、常に意識してください。
さらにひとこと。
あなたがどのような魂の持ち主で、どのような人生を歩んでおられるのか
知りませんが、私たちは皆、神の子供です。
どんなときにでも、愛され、慈しまれ、護られてゆく資格があります。
ここで、どうやったらあなたが自分を大切にできているかできていないかの
判断の仕方を書いておきますが
それは現実に起きて来る現象をよく観察することです。
現実の暮らしで、争い・失敗ばかりが続くようでしたら、行動の仕方について熟考・反省し
行動を変える必要が出てくるでしょうし、
現実の現象がより良い方向へ向かうようでしたら
その行動で良い、ということだと思います。
自分自身を大切にするというのは、
周囲と争って「自分さえよければ、周囲は傷ついても知りません」ということではないので
暮らしのなかで思考・行動を丁寧に、
争いを選ばない・争いから距離を置くことも必要です。
自分自身を大切にしてゆけば、「自分自身を大切にするいうことは、どういうことなのか」を
現実に起きて来る現象と照らし合わせて、知ってゆくことが出来るでしょう。

上に書いたように、人類のなかには「輪廻」を繰り返してしまっている人々がいますが
その輪廻を「解くための鍵」をもしかしたら、虐待する親との関係の中に、
探すことができるのではないか、私の直感はそういっている。
精神面で余裕がある方、あるいは余裕がでできたときに
その「鍵」について考えてみることもいいかも知れないと思います。
最後に、私の息子のホロスコープの話に戻りますが
「母親と共に人生を楽しむ」が彼の(ひとつの)人生のテーマである。
それこそが、母親の私が出産前に望んでいたことで、
「息子よ、そこまで叶えてくれるなんて、本当に親切な子だわ、ありがとう」と
胸の中まで感謝の念でいっぱい。
優しい子で、毎日ママンの手の甲にキスしてくれて、ママンの
ハイヒールにまでキスしてくれる(笑)。
一緒に居る、ただそれだけで幸せな関係で、目の前に来てくれたこの子の命を
生涯かけて愛してゆこう、当たり前のことを母親の私は思う。
世界中の母親はみな、本来ならば、そう思っているはずだと私は思う。
この世というものは全てが、自分自身の写し鏡なのだ、と思う。


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