パリで過ごす夏休み・南仏で過ごす夏休み。

パリガイド, フランス国内・魅力の旅行。

パリの夏休み。
パリジャン、あるいはフランスに住む人々は六月にもなれば、「今年のバカンス」の話を始めます。
フランスにおいては、「休暇」に関する法律があり、法律で決められた期間を取らなければなりませんので
人によっては、長い長いバカンスを取ることが出来ます。
フランスでは年5週間の有給休暇が、法律で保障されています。
この休暇をノエルや、この夏のヴァカンスに使います。
(人によってはと書きましたが、例えばその年に新しい仕事を始めたばかりの人などは
長い休暇を取れない場合もあります。)

6月の末から8月の末に渡って、序々に、個々にパリからいなくなるパリジャンたち、
同時に普段はびっしりと駐車している路上駐車の車たちもいなくなり
パリの路上もがらがらになってゆきます。
通常、パリの夏は清々しい青空が広がっている上に、空いているパリの街を歩くのも心地よいのです。
代わりにやってくるのが、英語やその他外国語を話す人々、ツーリストたちです。

我が家は7月の後半から8月の後半までが夏休み期間なので、
毎年、パリの空いている夏も体験してきていますが、
今年はいまひとつのお天気で、ツーリストのかたがたには残念かも知れません。

フランスの夏でちょっと困るのがこの「ヴァカンス時のプロフェッショナルの人々との仕事」です。
例えば、弁護士や税理士、ひいては医者までも彼らの「ヴァカンス」を取るわけで
その年の六月までかかった案件の続きは9月以降になってしまったりするのです。
9月以降と言えば聞こえはいいですが、9月の半ばまであるいは後半まで連絡が取れず !!! などという場合もよくあります。
これはちょっといらいらしますね。
1度、医者とのランデブーが3ヶ月先になったときには頭から湯気がでそうになりました。
パリにおいては、この時期は「存在しないもの」「ヴァカンスの為だけの日々」
と考えたほうがいいのかもしれませんね。面白いシステムです・・・。

ある年のこと、私たちは私たちの所有するアパルトマンの「居住証明書」が必要でした。
私の10年滞在許可証のために書類が必要だったのですが、
私たちが当時契約していた不動産組合のビュロ(事務所)は普段から仕事の遅い組合で
(こういう組合が多いのです)
お昼前11時にはもう電話にでない、3時にはおやつなのか電話にでない、午後4時にはもう帰ったのか電話にでない・・・(一部誇張)
何度も何度も連絡したにも関わらず返事がなく、挙句の果てに「ヴァカンス」だと言われたときには
私のフランス人のオット君が怒り出し
「ムッシュー・〇〇はアフリカだーーー!!!!!!」と吠えたので、その後ふたりで大笑いしてしまいました。
そのフランス人ムッシューの仕事があまりにも遅いので、アフリカなみだ、と言ったわけです。
アフリカの皆さん、あなたがたを批判しているわけではありません。

私たちカップルは普段から冗談ばっかり言って笑っているので、こういう夫婦だとご理解ください)

話がそれてしまいましたが、続いては南仏の夏休みです。

南仏の夏休み。
一方の南仏の夏、南仏の太陽はじりじり肌を直接さすような強さです。
日本ともパリとも違うと感じさせる太陽光線で、日本と違い「湿気」があまり無いためか、
太陽が湿気というフィルターを通さずじかに届いていると感じさせ、肌に痛いほどです。
写真はサントロペの港。

この地方での人々のヴァカンスの過ごし方といえば朝はゆっくりと起床し、ゆるゆるとカフェオレを飲み、

その後海を見渡すことの出来る市場まで買い物へ行き、市場にあるカフェにてちょっとワイン、
お昼ごはんをゆっくりと作り、2時間ほどかけておしゃべりをしながらテーブルを囲む。
その後はこれまたゆっくりとお昼寝。
午後になると、街や海へ出かけ、あるいは船に乗って海を楽しみます。
南仏にはサントロペだけでなく、海岸線沿いに小さな、でも魅力的な港町が沢山あります。
歴史ある街、Frejus/フレジュス、フランス新幹線停車駅、Saint-Rapaël・サン・ラファエルなど。
宝石のような港町が点在するので、車でまわるといいかも知れません。
この地方にはワイン畑も多いので、車で直接ワイン製造者のもとまで 買いに行くこともできます。
サントロペの港沖などは、個人所有なのか、素敵な船を見かけることが出来ます。
下の写真はサントロペ近郊の小さな港の船置き場ですが、個人所有の船でしょうね、すごいです。


夕方には夕方で、またもやロゼワインやロゼシャンパンと共に語り合ってゆっくり過ごします。
南仏の人々の生活はテンポがゆっくりしているとよく言いますが、それはこの地方の気候との関係です。

写真はサント・マキシムの市場。
南仏にはサントロペだけでなく、海岸線沿いに魅力的な港町が沢山あります。
このサント・マキシムではおいしいアイスクリームの屋台をみつけられます。

市場ちかくのお店でこんな可愛いのを見つけました。南仏らしいですね。
サントロペ名物、絵描きの人々が絵を売っているところ。
サントロペのルイヴィトン。南仏の建築はこの様な色の建物が多いですが、これがこの地方の土の色です。
庭で家庭菜園をして「小松菜」を植えたいと思っているんだけど・・・と言ったら「赤土だけど、大丈夫?」と言われたのでやめておきました。
パリの自宅で今後家庭菜園をしょようと考え中です。
ルイ・ヴィトンのお店のショーウインドーも撮影したのですが、いい写真でないので次回いい写真が撮れた際に掲載します。
私が現在使っているカメラが質の良いものではないので、近いうちにいいカメラに買い換えたいな・・と思っているのですが。

この下の写真がサントロペファッションで、女性が持っているのがサントロペのルイヴィトンでしか買うことのできないバッグ。サントロペとピンク色で書かれています。
このおふたり、とてもお綺麗だと思いませんか。というわけで、サントロペ・ボーテ大賞に決定 !! パチパチパチ !!!


以前の「パトルイユ・ド・フランス」のサントロペにおける航空ショーについて書きましたが、その写真がこちら。

フランス革命記念日とフランス空軍パトルイユ・ド・フランス。 

 


写真追加しました。パリ時間・8月22日・午前1時。

パリの恋人たちとそのデートコース②チュイルリー公園とオランジュリー美術館。

パリガイド

パリで思い出のデートを!!

この「パリのデートコース」においては、私、麗とフランス人の主人が
実際にデートした場所を 順番にお伝えしています。
今回は2度目、「チュイルリー公園とオランジュリー美術館」で私と主人は
2007年、結婚を決める寸前にここでデートしました。
(あくまでも個人的なデートではありますが、ロクなデートしていないよね、
などとおっしゃらずにお付き合いくださいませ・・・汗 )
第一回は以下のリンクでご覧ください。

パリの恋人たちと、そのデートコース①白鳥の散歩道と自由の女神、パリ15・ 16区。

カルチェ・ラタン、モンマルトル、サンジェルマン・デ・プレ、とパリの街は地区でわけることが
できますが、各地区にはそれぞれの特徴があります。

今回のこの地区、パリの中心でデートをする場合におすすめしたいのが、「リュクス」を味わうということ。
このパリの中心地区には「世界のリュクス」が集まっています。
ヴァンドーム広場しかり、ブティック街しかり。レストランもレベルの高い店が集まっているのがこの界隈です。
どの街でも「地区の楽しみ方」を上手に見てゆくと、良い経験ができます。

今回ご紹介するチュルリー公園の目の前にあるコンコルド広場に立って、周囲を見回してみてください。
あなたのその足元は、コンコルド広場、フランス革命の際に重要な役割を果たした場所です。
この広場は1755年、王室の命により建築家、アンジュ=ジャック・ガブリエルによって設計されました。
この場所は当初からパリでも重要な場所として作られています。
(当初は当初ルイ15世の騎馬像が設置されていたため「ルイ15世広場」と呼ばれていました。
「コンコルド広場」という名称で呼ばれるようになったのが1795年、正式には1830年)
今からご紹介するチュルリー公園、現在は「公園」として存在するのみですが
かつてはここに王室所有の宮殿もありました。
1770年5月30日にはここで王太子(ルイ16世)とマリーアントワネットの結婚を祝う花火大会が行なわれ
フランス革命中には2人の処刑が行なわれた場所でもあります。
歴史を、感じながら歩いてみてください。

コンコルド広場にはフランスでもトップのホテル、「オテル・ド・クリヨン」が建っています。

コンコルド広場から、目の前に伸びて行くのは世界のシャンゼリゼ通り、

チュルリー公園の脇にあるリヴォリ通りを通っては、
世界の宝飾店が軒を並べ、マドモワゼル・ココシャネルが終の住まいとしたホテル、
「オテル・リッツ」があるヴァンドーム広場や
シャネルの本店のあるカンボン通りへ徒歩数分で行くことが出来ます。
これからご紹介するチュルリー公園内には「オランジュリー美術館」があり、
画家、クロード・モネが寄贈した「睡蓮」の絵を見ることができます。
徒歩数分でルーブル美術館へも行くことが出来ます。

これほど、豪華極まりない場所があるでしょうか。
あなたは今、パリの中でも、「リュクス」を思う存分味わえる場所に立っているのです !!
思う存分、その豪華さを味わってください。
立っているだけでも既に豪華なのですが、何か、リュクスを味わってみてください。

私は常日頃から思っているのですが、フランスにおいてはレベルの高いもの・経験や
レベルの高いサービスを選ぶといいと考えています。
日本にいるよりもこの点に注意すると、気分よく過ごすことができます。
世界中どこでもそうですが、特にフランスにおいてはそれをお奨めします。

何故か? この経験によってあなたは「世界のトップとはなにか。」を知ることができるからです。
この経験は、人の心の財産になるばかりか、やる気を運んできます。
デートの場合には、ふたりで心の糧となる経験になること間違いありません。
(私が常日頃から贅沢店ばかりに出入りしているという話ではありませんのでご留意ください。
私は心から好きなパリをご紹介するためにこれを書いています。)

私とフランス人の主人はここで、2007年にデートしたのですが、
私が大の美術館好きなことと、主人の先祖にひとりのアーティストがおり、
彼の作品がパリの美術館に収められている事から、よく美術館へ行きました。
私は2000年にも、当時は日本に住んでいましたがパリで10日間の「美術館巡りの旅」をしたことがあります。
では「チュルイリー公園」と「オランジュリー美術館」をご紹介していきたいと思います。

かつてこの場所にはチュルイリー宮殿があり、カトリーヌ・ド・メディシスの命により
1564年に王室のレジデンスとして建築がなされました。
歴代の王、アンリ四世、ルイ14世、ルイ15世が、ルイ18世、シャルル5世、
それにルイ・フィリップが使っていた宮殿でしたが、

パリ・コミューンの際、1871年5月23日に放火により、宮殿は焼失、1880年に完全に崩壊。
現在は公園が残るのみです。
公園はヴェルサイユ宮殿の素晴らしい庭園を設計したことでも知られるかの建築家、
ル・ノートルによってつくられました。
奥に見える観覧車は現在開催中の お祭りの中のアトラクション。下までスクロールしてお確かめください。
photo par:Jean-Christophe BENOIST: https://fr.wikipedia.org/wiki/Fichier:Tuileries-Roue.jpg#file
では、オランジュリー美術館をご紹介していきます。

接近して撮影してみました。

この美術館の大きな特徴はクロード・モネから寄贈された「睡蓮」です。私もこの絵、大好きです。

photo par : By Jason7825 (Own work) [CC BY-SA 4.0 (http://creativecommons.org/licenses/by-sa/4.0)], via Wikimedia Commons¥

接近して撮影してみました。

更に接近してみました。一日中眺めていてもいてもあきないほど。

オランジュリー美術館HP: http://www.musee-orangerie.fr/

現在このオランジュリー美術館では、「ブリヂストン美術館の名品−石橋財団コレクション展」を開催中です。
休館中のブリヂストン美術館の名品−石橋財団コレクション展をここで見ることができます。
ブリヂストン美術館の名品−石橋財団コレクション展
Tokyo-Paris Chefs-d’œuvre du Bridgestone Museum of Art, Collection Ishibashi Foundation

ブリヂストン美術館HP: http://www.bridgestone-museum.gr.jp/news/press/20161110_01.html
http://www.musee-orangerie.fr/fr/evenement/tokyo-paris-chefs-doeuvre-du-bridgestone-museum-art-collection-ishibashi-foundation
ブリヂストン創業者の石橋正二郎氏の肖像。先人の審美眼に敬意を。
今回のこの展示会における私のお目当てがこの絵、「すわるジョルジェット・シャルパンティエ嬢」ピエール=オーギュスト・ルノワールでした。本物を見ることの幸せ。 館内はこんな風。陽光あふれる、清潔な美術館です。
ここからは、オランジュリー美術館の通常コレクションです。
マリーローランサンにおけるシャネルの肖像。私が初めてパリへ着いた直後にこの絵を見たくてこの美術館へ来たものです。
シャネルはこの絵が気に入らず、突っ返したということですが、いかかでしょうか、私は個人的にマリーローランサンの絵が好きですが・・・。

ピカソ。ピカソは長い間、パリでは認められなかったといいますが、
ピカソほど多方面の才能を示す芸術家も珍しいのではないのではないでしょうか。
15年ほど前でしたか、ピカソの人生に関する本「ピカソ 偽りの伝説」
アリアーナ・S. ハフィントン著・高橋 早苗訳)を読んだときには、
そのすさまじい「毒気」にやられて数日間胸焼けがしていましたが。
下の写真の絵からは、ひと目だけでピカソの才能を感じ取ることができますね。
今回、楽しいと思ったのが、ポールギヨ-ムのアパルトマンのミニチュア版のこちら。
フランスのインテリアは学ぶに値します。

オランジュリー美術館前から、オテル・ド・クリヨンとコンコルド広場を望む。

Musée de l’Orangerie

Jardin des Tuileries

Place de la Concorde

75001 PARIS TEL: +33 (0)1 44 77 80 07

http://www.musee-orangerie.fr/fr/article/enfants-et-famille
私と主人は2007年のデートでこの観覧車にのりました。
この観覧車はオープンなので、高いところが苦手なかたは要注意です。
私は私をからかうのが趣味のフランス人のオット君からさんざんからかわわれて、
ちょっと怖い思いをしました。
この観覧車は開催中のお祭りのひとつのアトラクションです。以下でご覧ください。
なお、お祭りは8月27日までです。

公園へ行こう⑤チュイルリー公園のお祭りFête des tuileries へ行ってみた。

 

さてこの界隈でのお食事ですが、この地区の今回のお奨め「リュクス」に従って私のお奨めは「オテルドクリヨン」です。
長い間工事中でしたが、つい先日再オープンしましたので嬉しくなってつい先日も行ってきました。
お食事も出来ますし、バーでゆっくりも出来ます。
下はバーの写真。


Par Pline (Travail personnel) [GFDL (http://www.gnu.org/copyleft/fdl.html) ou CC BY-SA 3.0 (http://creativecommons.org/licenses/by-sa/3.0)], via Wikimedia Commons
Place de la Concorde, 75008 Paris
Téléphone : 01 44 71 15 00

https://www.rosewoodhotels.com/en/hotel-de-crillon

https://www.rosewoodhotels.com/en/hotel-de-crillon/dining

続いては、レストラン「Luca Carton」パリのマドレーヌ広場の一角にある伝統のレストランで、
かつて、ヌーヴェル・キュイジーヌの鬼才と言われた、フランス料理界の巨匠
アラン・サンドランス氏が30年近く3つ星を維持したお店です。

http://www.lucascarton.com/
9 Place de la Madeleine, 75008 Paris
01 42 65 22 90

お茶をする場合には、「ラデュレ」のロワイアル店があり、この店はシャンゼリゼ店に比べると
行列に並ばずに入ることができるようです。私はよくこの店へ行きますが一度も行列をしたことがありません。

Ladurée Paris Royale
18 Rue Royale, 75008 Paris
01 42 60 21 79




 

ココ・シャネルの足跡を旅する。エレガントなパリ案内。第二回。

パリガイド
昨日の記事に続いてココ・シャネルの足跡を旅する、エレガントなパリ案内です。

ココ・シャネルの足跡を旅する。エレガントなパリ案内。第一回。

楽しみのつきないパリの街とシャネルの旅、第2回はシャネルの人生後半、大成功ののち、
1934年、51歳に入居したオテル・リッツからです。

シャネルが使っていたオテル・リッツの部屋は現在、「COCO CHANEL SUITE」として宿泊することが出来ます。
シャネルの愛した「ベージュ」色に統一された室内。それは「パリの街の色」でもあります。
私はパリ在住なので、ホテルに宿泊するチャンスはあまりありませんが、この部屋には生涯のうちに必ず宿泊したいです。

http://www.ritzparis.com/en-GB/luxury-hotel-paris/prestige-suites/coco-chanel-suite

The Chanel suite @TheRitzParis #PFW #ChanelSuite #BlackBoxConcierge

Une publication partagée par Black Box Concierge (@blackboxconcierge) le

Hôtel Ritz
Adresse : 15 Place Vendôme, 75001 Paris
Téléphone : 01 43 16 30 30

現在、オテルリッツにはシャネルのエステティック・サロンもあります。
http://www.ritzparis.com/fr-FR/bien-etre/soins-beaute-chanel-au-ritz

下の写真はヴァンドーム広場にあるシャネルの宝石店です。ここも立ち寄ってみてくださいね。

シャネルがいつも通っていたという、サロン・ド・テ「Angelina/アンジェリーナ」はカンボン通りすぐ近く、リヴォリ通りにあります。
http://www.angelina-paris.fr/fr/
アドレス: 226 rue de Rivoli, 75001 Paris / Tel: 01.42.60.82.00


下の写真はマドモワゼルココ・シャネルがいつも使っていたという定番の場所です。この大きな鏡の横でお茶されていたそうです。
お店のかたに聞いてみてくださいね。

店内はこんな感じです。
夏になると外でアイスクリームも売っています。

シャネルは1971年1月10日にオテルリッツの部屋で急逝、その生涯と閉じました。
葬儀が行なわれたのが、パリの8区、コンコルド広場から延びるロワイヤル通りをまっすぐ行った突き当りにある
「マドレーヌ寺院」です。シャネルは一時スイスに住んでいた時期があり、スイスとフランスを行ったりきたりしていた時期もありました。
彼女はスイスにある墓地に埋葬されています。


Église de la Madeleine/ マドレーヌ寺院、パリ8区
Place de la Madeleine, 75008 Paris

あとがき

昨日からシャネルの名言集を新たに読み返していたのですが、
女性はみな、シャネルという人から人生を学ぶといいのではないかと思うのです。

シャネルという人はその内面の「女性性」においても「男性性」においても
非常に優れた人であったと思うからです。
この2つの内面の性質を上手に育ててゆくと、人間は充実してゆくことが出来ます。
(この話は今後、スピリチュアルの部門でお話ししたいと思います)。
それが、彼女をこれほどまでの「黄金の人生」まで運んできた。
シャネルは自分自身で自分の内面と向き合い、自分の可能性を育て、自分の道を自分で探し作っていった人です。

シャネルの人生についてはシャネルに興味のある人なら、どなたもご存知でしょうが
幼くして母親を失くし、父親は彼女を孤児院に預けるとそのまま姿を消した。
最愛の男性であったアーサーカペルの死と別れ。
数多くの人々との関わりと別れ。
71歳にして再度、モード界へと復活。
どんなに辛いことがあっただろう、恐れを感じることもあっただろう。それでも彼女は歩みを止めなかった。

全てを乗り越えてでも、最後まで人生を進めることが出来たのは、彼女には「目的」
があったからではないかと、私は個人的に思います。
シャネルは怒りの人で知られていますから、もちろんそれも原動力ですし、
本人が語っていた通り「復讐」の意味もありましょう。
でも私は目的を感じます。
「全てを変えたい」という目的。「全ての自分の想いを叶えたい、全ての可能性を試したい」という目的。

人はともすれば、人生の目的や、可能性を忘れてしまいがちですが、
このシャネルのありかたに学ぶところが沢山あります。
進む、その姿勢が人生を連れてきたということを証明した聡明な女性でありました。
何という勇敢で美しい人だったのだろうか、そう思います。

シャネルのその生き様や、シャネルの生み出した美しい作品たちを思いながら
シャネルの歩いたパリの道をたどってみるとパリの旅がもっと深いものになるかも知れません。







ココ・シャネルの足跡を旅する。エレガントなパリ案内。第一回。

パリガイド




世界の多くの街における楽しみのひとつに
その街に生きた偉人の生き様を知ることの出来る「名所を巡る旅」があると思います。

ここフランス・パリにおいても、偉人の生きた場所や店をそこかしこで見つけることが出来ます。
数多くのアーティストたちが通った有名なカフェ。彼らの住まい。彼らの歩いた公園。

私自身はここフランスにおいて、何度も偉人の足跡を廻る旅をしています。
パリだけではありませんが、例えば、ジャンヌ・ダルクの足跡を巡るルーアン/Rouen への旅をしてみたり、
フランス国王であったフランソワ・プルミエとレオナルド・ダ・ヴィンチ(仏・レオナール・ド・ヴァンシ)の足跡を巡る
城巡りの旅をしてみたり、あるいはジヴェルニー/Givernyのクロード・モネの家へ行き
モネの家の花咲き乱れる庭で、モネの人生について書かれた本を読んでみたりと
「偉人の足跡巡り」の旅をしてきました。(全て順を追って公開していきます)。

一流の人々が何を考え、どう行動し、どんなエネルギーの場所でその人生を過ごしたのかを
知ることが出来る旅をとても有難いと思い、多くの学びを受け取る機会だと考えています。

これは私個人の考えですが、一流のものを見て、一流の人々の息吹の中で暮らすことは
人を大きく成長させる機会だと考えます。 いかがでしょうか。
断っておきますが「一流」「二流」などと差別しての「一流」ではありませんので
くれぐれもお間違えのないようにお願いいたします。
誰もが、魂を磨いて一流へと向かえるのです ! その為の学びであり、美しさです。

さて、私の尊敬する偉人に、19世紀最大のデザイナー、マドモアワゼル・ココ・シャネルがいます。
彼女の遺した名言の数々、彼女がファッション界に遺してくれた
その美しい生地や、現在の女性達に遺してくれた「自由」。
そのビジネスセンス。 何十年経っても色あせない、2017年の今見ても新しさを感じさせる、その服。

私は18歳の頃から、シャネルとそのシャネル社の作るエレガントなツイード生地が好きで、
シャネルの1930年代からの切り抜きをスクラップしてみたり
現在ではカールラガーフェルドの作るシャネルの世界が天才的だといつもいつも注目してきました。
シャネルの遺したアイデアを彼の天才性で今日の洋服にしてしまうその手腕。

上の写真: シャネルがまだ駆け出しだった生地職人のMALHIA KENT/マリア・ケントに向かって、花束を床に投げつけ、
「こんな感じの生地が欲しいのよ。」と言い放ったというエピソードがありますが、それを連想させるシャネルツイード。
ただし、この共布はカールラガーフェルド時代のものですが・・・。

私自身の自己紹介を読んでいただければお分かりになるかと思うのですが
私は1993年に初めてフランスの地を踏みました。パリに到着した翌日に私がしたことは「シャネルの足跡を廻る旅」でした。
学生生活を始める前にどうしてもしたいと考えていたのです。
パリに到着した翌日の朝、真っ先に向かったのがカンボン通りにあるシャネルの本店で、
次に向かったのがマドモアゼル・ココ・シャネルが通っていたサロンドテ「Angelina」アンジェリーナでした。

その後1994年にはスイスにあるシャネルの墓に出向き、花をたむけてきました。
同じ女性として、尊敬し、敬愛するシャネル。私は個人的にその才能に驚かされても居ます。
今も世界一であり続けるシャネル。

今回は、パリにおけるシャネルの足跡を廻る旅をお届けしたいと思います。
なお、今回はあくまでも「パリにおけるシャネルの足跡」ですので、生い立ちなどには深く立ち入りません。
今後シャネルの全ての足跡を廻る旅をしたいと考えていますので、別の際におおくりします。)
パリに住み始める・シャネルがパリに住み始めたのは1909年。
当時シャネルは貴族の子息であるエチエンヌ・バルサンと共にロワイアルリューにある城館で
暮らしており、バルサンに囲われていた状態でした。
シャネルは帽子屋として働きたい、と申し出ますが、バルサンは資金援助を拒否、代わりに
パリのマルゼルブ通り160番地の地上階にある彼所有のアパルトマンを貸すことでシャネルとバルサンは折り合いました。
シャネルが初めてパリで帽子屋を開店させたのが、ここマルゼルブ通り、160番地です。
なお、このマルゼルブ通り160番地には現在、シャネルに関係する建物はありません、かつて帽子屋を開店した場所です。
https://fr.wikipedia.org/wiki/Boulevard_Malesherbes
https://fr.wikipedia.org/wiki/Boulevard_Malesherbes
photo:Par Erwmat (Travail personnel) [CC BY-SA 3.0 (http://creativecommons.org/licenses/by-sa/3.0)], via Wikimedia Commons
シャネルの人生最大の恋人であり、シャネルが「生涯で愛した男はただひとり」と言っていた、アーサー・カペルこと
ボーイとも既にバルサンの城館にて出会っており、ボーイも当時、このマルゼルブ通りの近く、
パリのガブリエル通りにアパルトマンを所有していました。
なお、アーサーカペルの写真でも有名な、立って読書をしている写真はマルゼルブ通りにて撮影されたものです。
ボーイの写真は下のサイトでご確認ください。
http://5-culture.chanel.com/en/une_histoire_damour/

1910年の秋には、シャネルはバルサンの元からボーイの所有していたガブリエル通りのアパルトマンに移り、
ボーイとの暮らしをスタートさせ、同時にパリの中心、カンボン通り21番地にお店を開きます。

シャネルが最初にカンボン通りに店を開いたのが21番地ですが、その後シャネルの成功と共に、23番地、25番地、31番地と拡張しています。
ただし、元の店のあった21番地はシャネル社によって売却され、現在は他のブティックが店を開いています。
下はカンボン通り23番地、先日撮影したものです。この中にはアトリエもあるんですよ !
下は誰もが憧れるカンボン通り31番地です。

シャネルの成功。

シャネルはその成功ののち、1919年よりフォーブル・サントノレ通り29番地/29, rue du Faubourg Saint-Honoréに居を構えます。
シャネルが晩年にリッツホテルに住んでいたことは有名ですが、それは最晩年のこと。
リッツに住む以前はこの場所に住んでいました。
この建物は、 L’hôtel particulier ・フランス語でロテルパティキュリエールとは個人の大邸宅のことをこう言い、
由緒ある建築物の場合が多いのですが、このhôtel de Rohan-Montbazonロアン・モンバゾンも
1719年に建設された非常に由緒ある建築です。
このhôtel de Rohan-Montbazonロアン・モンバゾンの場合、フランスの貴族、公爵夫人であった
Marie Aimée de Rohanマリー・ド・ロアン=モンバゾンの為に建てられました。
https://fr.wikipedia.org/wiki/H%C3%B4tel_de_Rohan-Montbazon

シャネルはこの場所にて、1932年に高級宝飾の展示会”Bijoux de diamants”を開いています。
今日、シャネルの宝石ラインが販売されていますが、この1932年の展示会の商品に非常によく似た宝石も数多くあります。
シャネルのサイトでは作品の詳細をご覧いただけるほか、「パリ・マッチ」誌のサイトアドレスも貼り付けておきます。
シャネル: http://inside.chanel.com/fr/timeline/1932_bijoux-de-diamants
1932年の展示会の際に「パリマッチ」誌に掲載されたシャネルは以下のサイトでご覧ください。
http://www.parismatch.com/Vivre/Mode/Chanel-J-ai-trouve-l-inspiration-sur-les-Champs-Elysees-160056
なお、このフォーブル・サントノレ通り29番地は現在、シャネルの所有ではありません。
従ってシャネルに関係するしるしはここでは見つけることが出来ないのですが、
すぐ近くにシャネルブティックがありますので、訪れた際にはこのオテルパティキュリエールもご覧になってみてくださいね。
 (なお近くのシャネルブティックは次の住所です:21 Rue du Faubourg Saint-Honoré, 75008 Paris)
http://services.chanel.com/fr_FR/storelocator/store/chanel+faubourg+saint-honore-106.html
下の写真がフォーブル・サントノーレ29番地です。ここにシャネルが住んでいました。大統領官邸のすぐそばです。

上の写真はphoto par: Par Natlo47 (Travail personnel) [CC BY-SA 3.0 (http://creativecommons.org/licenses/by-sa/3.0)], via Wikimedia Commons

これで、第一回目を終了します。
続きは明日、シャネルの足跡を廻るパリの旅、第2回をお届けします。

お断りとお詫び:前回、アメブロにおいて「近日中にシャネルの足跡を廻るエレガントパリ案内をお届けします」とお伝えしてから
記事をアップするまで時間がかかりすぎてしまいました。
当方、ただいま起業準備、教室準備に追われております。
その上、昨日の宇宙におけるライオンズゲートが開かれた
行事前と行事中は宇宙の非常に強いエネルギーに押されて、自己改善のため内側にこもっておりました。
(ライオンズゲートの話はまた次回書きます)
記事のアップが遅れる場合があります、どうかお許しくださいませ。
遅くなっても、「やる」と言ったら必ずやります。どうぞ、ご了承ください。