世界の多くの街における楽しみのひとつに
その街に生きた偉人の生き様を知ることの出来る「名所を巡る旅」があると思います。
ここフランス・パリにおいても、偉人の生きた場所や店をそこかしこで見つけることが出来ます。
数多くのアーティストたちが通った有名なカフェ。彼らの住まい。彼らの歩いた公園。
私自身はここフランスにおいて、何度も偉人の足跡を廻る旅をしています。
パリだけではありませんが、例えば、ジャンヌ・ダルクの足跡を巡るルーアン/Rouen への旅をしてみたり、
フランス国王であったフランソワ・プルミエとレオナルド・ダ・ヴィンチ(仏・レオナール・ド・ヴァンシ)の足跡を巡る
城巡りの旅をしてみたり、あるいはジヴェルニー/Givernyのクロード・モネの家へ行き
モネの家の花咲き乱れる庭で、モネの人生について書かれた本を読んでみたりと
「偉人の足跡巡り」の旅をしてきました。(全て順を追って公開していきます)。
一流の人々が何を考え、どう行動し、どんなエネルギーの場所でその人生を過ごしたのかを
知ることが出来る旅をとても有難いと思い、多くの学びを受け取る機会だと考えています。
これは私個人の考えですが、一流のものを見て、一流の人々の息吹の中で暮らすことは
人を大きく成長させる機会だと考えます。 いかがでしょうか。
断っておきますが「一流」「二流」などと差別しての「一流」ではありませんので
くれぐれもお間違えのないようにお願いいたします。
誰もが、魂を磨いて一流へと向かえるのです ! その為の学びであり、美しさです。
さて、私の尊敬する偉人に、19世紀最大のデザイナー、マドモアワゼル・ココ・シャネルがいます。
彼女の遺した名言の数々、彼女がファッション界に遺してくれた
その美しい生地や、現在の女性達に遺してくれた「自由」。
そのビジネスセンス。 何十年経っても色あせない、2017年の今見ても新しさを感じさせる、その服。
私は18歳の頃から、シャネルとそのシャネル社の作るエレガントなツイード生地が好きで、
シャネルの1930年代からの切り抜きをスクラップしてみたり
現在ではカールラガーフェルドの作るシャネルの世界が天才的だといつもいつも注目してきました。
シャネルの遺したアイデアを彼の天才性で今日の洋服にしてしまうその手腕。
上の写真: シャネルがまだ駆け出しだった生地職人のMALHIA KENT/マリア・ケントに向かって、花束を床に投げつけ、
「こんな感じの生地が欲しいのよ。」と言い放ったというエピソードがありますが、それを連想させるシャネルツイード。
ただし、この共布はカールラガーフェルド時代のものですが・・・。
私自身の自己紹介を読んでいただければお分かりになるかと思うのですが
私は1993年に初めてフランスの地を踏みました。パリに到着した翌日に私がしたことは「シャネルの足跡を廻る旅」でした。
学生生活を始める前にどうしてもしたいと考えていたのです。
パリに到着した翌日の朝、真っ先に向かったのがカンボン通りにあるシャネルの本店で、
次に向かったのがマドモアゼル・ココ・シャネルが通っていたサロンドテ「Angelina」アンジェリーナでした。
その後1994年にはスイスにあるシャネルの墓に出向き、花をたむけてきました。
同じ女性として、尊敬し、敬愛するシャネル。私は個人的にその才能に驚かされても居ます。
今も世界一であり続けるシャネル。
今回は、パリにおけるシャネルの足跡を廻る旅をお届けしたいと思います。
(なお、今回はあくまでも「パリにおけるシャネルの足跡」ですので、生い立ちなどには深く立ち入りません。
今後シャネルの全ての足跡を廻る旅をしたいと考えていますので、別の際におおくりします。)
パリに住み始める・シャネルがパリに住み始めたのは1909年。
当時シャネルは貴族の子息であるエチエンヌ・バルサンと共にロワイアルリューにある城館で
暮らしており、バルサンに囲われていた状態でした。
シャネルは帽子屋として働きたい、と申し出ますが、バルサンは資金援助を拒否、代わりに
パリのマルゼルブ通り160番地の地上階にある彼所有のアパルトマンを貸すことでシャネルとバルサンは折り合いました。
シャネルが初めてパリで帽子屋を開店させたのが、ここマルゼルブ通り、160番地です。
なお、このマルゼルブ通り160番地には現在、シャネルに関係する建物はありません、かつて帽子屋を開店した場所です。
https://fr.wikipedia.org/wiki/Boulevard_Malesherbes
https://fr.wikipedia.org/wiki/Boulevard_Malesherbes
photo:Par Erwmat (Travail personnel) [CC BY-SA 3.0 (http://creativecommons.org/licenses/by-sa/3.0)], via Wikimedia Commons
シャネルの人生最大の恋人であり、シャネルが「生涯で愛した男はただひとり」と言っていた、アーサー・カペルこと
ボーイとも既にバルサンの城館にて出会っており、ボーイも当時、このマルゼルブ通りの近く、
パリのガブリエル通りにアパルトマンを所有していました。
なお、アーサーカペルの写真でも有名な、立って読書をしている写真はマルゼルブ通りにて撮影されたものです。
ボーイの写真は下のサイトでご確認ください。
http://5-culture.chanel.com/en/une_histoire_damour/
1910年の秋には、シャネルはバルサンの元からボーイの所有していたガブリエル通りのアパルトマンに移り、
ボーイとの暮らしをスタートさせ、同時にパリの中心、カンボン通り21番地にお店を開きます。
シャネルが最初にカンボン通りに店を開いたのが21番地ですが、その後シャネルの成功と共に、23番地、25番地、31番地と拡張しています。
ただし、元の店のあった21番地はシャネル社によって売却され、現在は他のブティックが店を開いています。
下はカンボン通り23番地、先日撮影したものです。この中にはアトリエもあるんですよ !
下は誰もが憧れるカンボン通り31番地です。
シャネルはその成功ののち、1919年よりフォーブル・サントノレ通り29番地/29, rue du Faubourg Saint-Honoréに居を構えます。
シャネルが晩年にリッツホテルに住んでいたことは有名ですが、それは最晩年のこと。
リッツに住む以前はこの場所に住んでいました。
この建物は、 L’hôtel particulier ・フランス語でロテルパティキュリエールとは個人の大邸宅のことをこう言い、
由緒ある建築物の場合が多いのですが、このhôtel de Rohan-Montbazonロアン・モンバゾンも
1719年に建設された非常に由緒ある建築です。
このhôtel de Rohan-Montbazonロアン・モンバゾンの場合、フランスの貴族、公爵夫人であった
Marie Aimée de Rohanマリー・ド・ロアン=モンバゾンの為に建てられました。
https://fr.wikipedia.org/wiki/H%C3%B4tel_de_Rohan-Montbazon
シャネルはこの場所にて、1932年に高級宝飾の展示会”Bijoux de diamants”を開いています。
今日、シャネルの宝石ラインが販売されていますが、この1932年の展示会の商品に非常によく似た宝石も数多くあります。
シャネルのサイトでは作品の詳細をご覧いただけるほか、「パリ・マッチ」誌のサイトアドレスも貼り付けておきます。
シャネル: http://inside.chanel.com/fr/timeline/1932_bijoux-de-diamants
1932年の展示会の際に「パリマッチ」誌に掲載されたシャネルは以下のサイトでご覧ください。
http://www.parismatch.com/Vivre/Mode/Chanel-J-ai-trouve-l-inspiration-sur-les-Champs-Elysees-160056
なお、このフォーブル・サントノレ通り29番地は現在、シャネルの所有ではありません。
従ってシャネルに関係するしるしはここでは見つけることが出来ないのですが、
すぐ近くにシャネルブティックがありますので、訪れた際にはこのオテルパティキュリエールもご覧になってみてくださいね。
(なお近くのシャネルブティックは次の住所です:21 Rue du Faubourg Saint-Honoré, 75008 Paris)
http://services.chanel.com/fr_FR/storelocator/store/chanel+faubourg+saint-honore-106.html
下の写真がフォーブル・サントノーレ29番地です。ここにシャネルが住んでいました。大統領官邸のすぐそばです。
上の写真はphoto par: Par Natlo47 (Travail personnel) [CC BY-SA 3.0 (http://creativecommons.org/licenses/by-sa/3.0)], via Wikimedia Commons
これで、第一回目を終了します。
続きは明日、シャネルの足跡を廻るパリの旅、第2回をお届けします。
お断りとお詫び:前回、アメブロにおいて「近日中にシャネルの足跡を廻るエレガントパリ案内をお届けします」とお伝えしてから
記事をアップするまで時間がかかりすぎてしまいました。
当方、ただいま起業準備、教室準備に追われております。
その上、昨日の宇宙におけるライオンズゲートが開かれた
行事前と行事中は宇宙の非常に強いエネルギーに押されて、自己改善のため内側にこもっておりました。
(ライオンズゲートの話はまた次回書きます)
記事のアップが遅れる場合があります、どうかお許しくださいませ。
遅くなっても、「やる」と言ったら必ずやります。どうぞ、ご了承ください。