フランスの守護神・ジャンヌダルクに会いに、ルーアンへの旅。

フランス国内・魅力の旅行。


こんにちは、麗です。
フランスの町を歩いていると、色々な場所で、ジャンヌダルク/Jeanne d’Arcの歩いた足跡を見つけることが出来ます。
パリのレジナホテルの前には彼女の銅像が、ある場所には彼女の名前のついた教会が、
または彼女がその率いる軍隊と到着したことを示す標識が。あるいは道の名前として。

その生誕から600年過ぎても「フランスの祖国愛の象徴」として愛されているジャンヌダルク。
間もなく5月30日。この日はジャンヌ・ダルクの亡くなった日にあたります。
ジャンヌダルクはルーアンの宗教裁判において異端者としての宣告を受け、
1431年5月30日このルーアンの「Vieux marché 」広場において焚殺され、
その遺灰はセーヌ川に流されたと言われています。

この日が近くなると、フランス各地でジャンヌダルクを奉るための多くの祭典が行われます。
ジャンヌダルクの生誕地・オレルアンでは数日間に渡ってイベントが行われるほか、
彼女が火あぶりの刑にあったルーアンでは、毎年教会でのミサを始め数々のイベントが行われているほか、
2012年には「ジャンヌダルク生誕600年式典」が行われました。(一部の写真は2012年のものです。)
今日はジャンヌダルクに会いに、ルーアンをフォトギャラリーとして見てゆきます。
(なお、ルーアンにおける今年のジャンヌダルクを祭る祭典は26・27日で既に終了しました。
今回のこの記事は25日以前に発信する予定だったのですが、私たち家族のイベントがいくつも重なって
今回の記事公開が遅れました。ごめんなさい。)

下はルーアン駅。パリサン・ラザール駅から 国鉄(SNCF)で. Rouen Rive-Droite駅・ ルーアン・リヴ・ドロワット駅. 在来線 急行1時間。

ジャンヌダルクはルーアンの宗教裁判において異端者としての宣告を受け、
1431年5月30日このルーアンの「Vieux marché 」広場において、焚殺されました。

下がLa place du vieux marché.




この日が近くなると、フランス各地でジャンヌダルクを奉るための多くの祭典が行われます。
下はVieux marché広場にあるÉglise Sainte-Jeanne-d’Arc聖ジャンヌダルク教会。

教会内銅像。
ジャンヌダルク像。彼女が火あぶりにあった、その場所からほんの少し離れた広場にあります。

下の写真は2012年、ジャンヌダルク生誕600年式典のもの。
こちらは、2012年まであった「ジャンヌダルク美術館」2012年閉館、現在は新しくなっています。新住所は 7 Rue Saint-Romain, 76000 Rouen、カテドラル横です。
詳細は以下のサイトでご確認ください。http://www.historial-jeannedarc.fr/
下はジャンヌダルク美術館内部、ジャンヌダルクの時代の床。

ジャンヌダルク美術館内部。ノルマンディー地方特有の建物です。冠型の百合の花のオブジェが美しい。



ジャンヌダルク生誕600年記念行進。

ルーアン時計台。

この地方特有の建築物です。

これより次ページへと参りますので「2」をクリックなさってください。

今も薫る、レオナルドダヴィンチの叡智の全て/終の住まい・クロリュセ城・アンボワーズ。Le Château du Clos Lucé

フランス国内・魅力の旅行。

今も薫る、レオナルドダヴィンチの叡智の全て/ 終の住まい・クロ・リュッセ城・アンボワーズ。

先日のアンボワーズ城に続き、本日も同じ土地アンボワーズ/Amboiseですが
今日は先日のアンボワーズ城から約400メートル離れた場所に建ち、
アンボワーズ城と地下道で繋がっていると言われている、Le Château du Clos Lucé/クロ・リュッセ城を見てゆきます。
この城はかつてクルーの館と呼ばれていました。
12世紀の基礎の上に当時の国王、ルイ11世の給仕長であったエチエンヌルルーにより1471年に建設されました。
1490年7月にシャルル8世の所有となり、それ以降二世紀にわたり、
王室の夏の別荘として使われていました。のちに当時の国王であったフランソワ1世が
レオナルドダヴィンチをイタリアから招聘した際に、住居として提供したものです。

総面積7ヘクタールある、緑美しい庭の中に建つ
この城にはレオナルドダヴィンチの暮らした部屋や彼のキッチン、サロンが公開されているほか、
レオナルドダヴィンチの残した数々の発明デッサンを元に、IBMが再現した40の模型が展示されています。
また、各部屋の壁にはレオナルドの残した数々の「名言」がパネルとして飾られています。

レオナルドダヴィンチの生きた道を、その天才を、その叡智の全てを
見せる「博物館」「美術館」としての機能を強く果たす
この城の存在を知ったときから、私はこの城へどうしても行きたいと思っていましたので
初めて到着したときの感動といったら、まるで「天国」に到着したかのようでした。
強い感動と共に「生まれてきて良かった」とまで思ったほどです。
この世というのは、悪いものではない、誰もが楽しんで生きられるのだ。
私たちには、「美しさ」や「人生の楽しみ」を追求するだけの価値がある。
私たちは人間なのだ。地球を愛して、もっと良くするために生まれてきた、偉大で価値のある「人間」なのだ。

それほどまでに強い感動を与えることの出来るこの城、特筆すべきはその「庭の緑の美しさ」です。
一部はレオナルドの時代から変更されていないという庭の中にも、
レオナルドダヴィンチが残した発明のデッサンを元に再現された大型の模型が20点配置されており、
夏季には彼ののこした絵画を元にした大型パネルが木々に飾られます。
レオナルドのデッサンパネルと共に。

私はこの庭に立つなり、非常に驚きました。
もちろん、城もそうなんですが、非常に純粋で、強力なエネルギーが流れているのです。
「なんというエネルギー !! これこそが、レオナルドの持っていた叡智のエネルギーなのだ、
彼の叡智の源でもあるのだ」と感動を覚えました。

地球にこのような美しい城があるとは。
レオナルドダヴィンチの叡智を今も保管する城、
今も感じられる強いエネルギー。
この城は、フランスの宝の中の宝、いえ、それどころではありません、
ここは地球上の宝です !!

レオナルドダヴィンチという人の天才は、多く勉学しているだけでなく
深い内省というのか、熟慮から来ているものでしょうが、
「我々の知識は全て我々の感性に由来する」と言っていたというダヴィンチ、
この庭で空を眺めながら「宇宙の叡智」に繋がっていたのではないか・・・と私は個人的に思っています。
ダヴィンチは亡くなる前に「(この世の)君主、創り主、支配者である神に魂を捧げる」と誓っています。
下の写真、クロリュッセから眺めるアンボワーズ城です。手前にピントが合ってしまっているので掲載しようか
迷ったのですが、この風景は一枚しかありませんのであえて掲載します。
レオナルドダヴィンチの残したデッサンにも、クロリュッセから眺めたアンボワーズ城の風景があります。
この城では夏季になると夜間に行われるイベントがあるのですが、ライトアップされたイベントはこの城の前に椅子を置いて行われます。
(イベントはクロリュッセ全体を使って行われますので、城前ではイベントの一部の間になります)。
By Ceridwen [CC BY-SA 3.0 (https://creativecommons.org/licenses/by-sa/3.0)], from Wikimedia Commons
クロリュッセ正面。
城裏手。
レオナルドダヴィンチの使用していた寝室。いつ訪ねても百合の花が飾られています。
By Château du Clos Lucé / Léonard de Serres [CC BY-SA 4.0 (https://creativecommons.org/licenses/by-sa/4.0)], from Wikimedia Commons
クロリュッセ城内にある、フランソワ1世銅像。
アンボワーズ城とクロリュッセは地下道で繋がっていると言われており
フランソワ1世はその地下道を通ってダヴィンチに会いに行っていたとか。ダヴィンチは城内にあるルネッサンス様式の大広間でフランソワ1世を迎えていました。
菜食主義であったというレオナルドダヴィンチの厨房の一部。料理人、マトゥリーナが働いていました。
レオナルドの遺言により、彼女にも衣類の贈与がありました。この写真は写りが悪いので掲載しようか迷ったのですが記念として。

アンボワーズの町のレストランは質のいい料理を出すところが多く、どこでも安心しておられますが、
アンボワーズには優れたレストランが何件もありますが、最も注目したいレストランはこのクロリュッセにあります。
下がそのレストランで、「L’auberge du prieuré 」。オーベルジュ・ドュ・プリューレ。レストランの看板。ルネッサンス時代にタイムスリップしたかのよう。


シャトー内のいたるところに、レオナルドダヴィンチの残した名言たちがパネルとして残されています。

シャトー地下。 レオナルドダヴィンチはエンジニアとしての才能も持っていました。
地下の4つの展示屋はレオナルドダヴィンチの発明品、デッサンを元にIBMが製作した兵器や機械類が展示されています。これらの機械類は当時の木材が使われているのだとか。
土木、軍事、機械学、光学、水力学、そして航空力学、彼の発明の数々です。下の機械については庭に大型も展示されています。

庭にあるヘリコプター。
これより、次のページへまいりますので、「2」をクリックなさってください。

フランス国王・フランソワ一世とレオナルド・ダ・ヴィンチ、その歴史・アンボワーズ城 

フランス国内・魅力の旅行。

フランス国王・フランソワ一世とレオナルド・ダ・ヴィンチ、その歴史・アンボワーズ城 

こんにちは。麗です。
本日は、フランス中にある「宝玉」のような城たちの中から
フランス中央部、ロワール河のそばにある「アンボワーズ城」のお話をしたいと思います。
私がこの城を知ったきっかけはフランスで発行されている城に関する雑誌を読んでいたためです。
この地球上に、レオナルドダヴィンチとフランソワ1世の生きた道を知ることの出来る城が今も
存在するとは・・・と感動し、訪ねたくてしかたがなかったのです。
従って、初めてアンボワーズに到着して城が見えてきたときには、
嬉しさのあまり心の中で子供のように喜んでいました。

アンボワーズ城の歴史
アンボワーズ城(Château d’Amboise)は、数多くの城が点在することで知られるフランスのロワール渓谷、
アンボワーズAmboiseの街にある城です。元々は中世に建設された古い要塞であったというこの城、
1431年シャルル7世の時代にに当時の領主の所有から、王家の所有となっています。
以降、ルイ11世、シャルル8世、フランソワ1世、アンリ2世まで、
全てのヴァロワ朝の国王がこのアンボワーズ城に滞在しています。

この城は、ロワール渓谷においてイタリア様式が取り入れられた最初の建築物です。
このアンボワーズで生まれたシャルル8世により、城の中庭にあるサン・テュベール礼拝堂と王と王妃の住居棟、
さらに二つの騎兵等塔の建設が命じられ、更にフランソワ1世とその息子アンリ2世によって
イタリア様式が取り入れられ増築が進められました。

フランスでは(時代は違いますが)太陽王と呼ばれたルイ14世と並んで
人気の高いフランソワ1世は有名な話ですがルネッサンス芸術の庇護者となり、
「フランス・ルネッサンスの父」と呼ばれるようになりました。
海外から数多くの知識人や貴族、芸術家をフランスに招聘しており、
レオナルド・ダ・ヴィンチ(仏・レオナールドヴァンシ)もそのひとりで1516年に招聘され、
3枚の絵「モナ・リザ」、「聖アンナと聖母子」、「洗礼者聖ヨハネ」を持って来たといわれています。

フランソワ1世が「我が父」と呼んでいたというレオナルド・ダ・ヴィンチは
アンボワーズ城から数百メートル先に在るクルー(クロリュッセ城)をあてがわれ
宮廷における祭典の計画や建築の仕事に携わり、1519年にこの世を去るまで、
その生涯の最後の3年間をこの地で過ごしました。
なお、レオナルド・ダ・ヴィンチの墓はこのアンボワーズ城内、サン・テュベール(聖ユベール)礼拝堂にあります。

その持つ歴史の上から見ても、フランスの宝の中の「宝」と言っても言い過ぎではないこの城を
写真と共に見てゆきましょう。

Credit:photo Par Christophe.Finot [CC BY-SA 2.5 (https://creativecommons.org/licenses/by-sa/2.5)], de Wikimedia Commons

なお、今後私が発信するフォトギャラリーは「Les ailes de l’âmeレゼールドラーム/魂の翼」というタイトルでお送りします。
タイトルの由来は私の願いから来ています。

私は自分自身が最も愛する街のひとつ、「パリ」に住んでいますが
地球に住まう全ての人々が、この地球の暮らしを楽しみ、各自が自身の人生を愛し、
更に意識と思考、行動を変えてゆくことによって「魂の望みを実現させる」
ことができる様に、そしてこの美しい地球を更に素晴らしい場所に進化させ、
誰もが地球生活を快適に過ごせるように、との願いです。
そのためにスピリチュアルな話をもうけ意識、思考、行動の話を載せています。
私自身も今後、自分の魂の持つ望みと自身の魂の仕事を実現させてゆきますので、その思いもこめて。

フランスの城をご紹介する記事に関しましては、今後、シュノンソー城、フォンテンヌブロー、
ブロワ、シャンボール・・・と次々ご紹介してゆきます。

アンボワーズへのアクセス方法は記事の最後におつけしますが、
写真は、アンボワーズ駅から歩いてゆくという形で旅を始めたいと思います。
駅に降り立ったところでは城は見えません。住宅街の中を数分歩きます。
下がアンボワーズ駅、小さな駅ですが、もちろん中に人がおられますので城までの行き方を聞くといいと思います。
写真をクリックしていただくと拡大させることができます。

住宅街を抜けると、このように城が見えてきます。中州といくつかの住宅も見えます。

中州部分で綺麗なお宅を見つけました。
城の前でロワール河が二つに分かれています。中州があるためです。中州はL’île d’orという名前です。
中州部分を過ぎると城が更に近くなってきます。写真はクリックしていただければ拡大させられます。

城を真下から見たところ。これは、サン・テュベール礼拝堂の一部。

城を別の角度から見たところ。城は年代を追って計画的取り壊しにあい、かつての5分の1しか残っていないといいますが、現行の城だけでも一見の価値があります。
ご存知ですか、城の維持・管理・修理には多くの経費がかかる上に、今日では装飾部分を担当する職人の数が少ないと言います。
こうやって、古い時代の城が現存するというだけで既に幸せなことなのです。

中庭から撮影。奥にレオナルドダヴィンチの像が見えます。

レオナルドダヴィンチ像。
中庭。サンテュベール礼拝堂。この中にレオナルドダヴィンチの墓があります。


photo via http://www.chateau-amboise.com/     La-chapelle-Saint-Hubert-et-la-tombe-de-Léonard-de-Vinci-4

下の写真は城から町を見下ろしたところ、のちほど、この通りにあるレストランなどをご紹介します。

城からの眺め。先ほど渡ってきた、ロワール河です。王たちの歴史、ひいてはフランスの歴史を見守ってきた、重要な河です。

ここから次のページへと参りますので、「2」をクリックしてください。

海外での子育て・フランス① 地球に降り立つ、霊性の高い子供たち。

スピリチュアルなお話, フランスで子育て

こんにちは。麗です。
しばらくブログの更新を途絶えさせてしまっており、読者の皆様にはご迷惑をお掛けしてしまいました。
申し訳ありません。
新緑の美しい季節になり、時には「夏日」といってもいいような快晴の日も見受けられるパリの街です。
緑の並木道を歩くと、木々の間から透かして見える木漏れ日と青空が輝いて非常に心地よい
過ごしやすい季節です。

しばらく前まで、パリの街中で何本もの満開の「八重桜」も見ることができていたのですが
パリで眺める桜の花も美しいものです。
桜の季節が終わり、5月1日の「Fête du travail」勤労感謝の日、すずらんを飾る習慣の日を
過ぎ、間もなく薔薇の花が満開になる季節で、パリの公園やフランスの有名な村などで
多くのバラの花を眺めることができます。
村によっては「バラ祭り」が開催されるところもあります。
バラの公園や、バラ祭りに関しましては、今後フォト・ギャラリーにて発信したいと思います。

さて本日より、海外における子育てについても書いてゆきます。
私は2015年にパリで出産して、現在3歳の息子を育てていますので
子育てについても発信してゆこうというのが、ブログを始めた当初からの予定でしたが、
内容を「パリにおける子育て」だけに絞るか、それとも
私自身がいわゆる「サイキック」のひとりとして、この世に生を受けていますので、
霊的な視点からも同時に書いてゆくか考えていたのですが、双方同時に発信してゆくことにしました。

今後、海外における子育てについて、あるいは親子ともに幸せでいるための
子育ての場でできることについて発信してゆきます。

ところで、私自身がサイキックであるということについて、
ブログを始めた当初に少しだけ、自己紹介的に触れましたがここで再度、私自身について書いてみますと
物こころついた頃からすでに、人の姿を見ただけで、その人のエネルギー状態や本質を一瞬にして視てしまったり、
亡くなった人の霊を視る能力を持って生まれてきました。
私の育った家は、スピリチュアルなことや、神仏や宇宙のしくみについて語り合うのが
当たり前のような家で、知人には何人もの優れた霊能者もいました。

1993年に、突然、高次元がコンタクトしてこられ圧倒的な光に打ちのめされました。
(以降、亡くなった人の霊を視ることがほとんど無くなりました。)

以降、生き方を変え、「幸せになるための生き方、存在のありかた」についても学び、現在に至ります。
なお、この世で幸せを現してゆくための「意識の持ち方」については今後、
スピリチュアルのほうで発信してゆきます。
これは、「人間の脳の使い方」でもあります。

ブログをご覧になっている方の中には、私のことを「この人どうして精神世界の話とパリの情報を同時に発信
しているんだろう」とお思いの方もおいでかと思いますが、
サイキック能力を持つ者が、フランス留学の後、フランス人と結婚しパリ在住のため、パリの情報を発信している、
というのが正確なところです。
この街、パリは私、麗の魂にとって非常に大切な街です。

地球に降り立つ、霊性の高い魂たち。

現在、この地球には「クリスタル・チルドレン」「レインボーチルドレン」と呼ばれる、
非常に霊的ステージの高い子供たちが続々と生まれてきています。

私の子供の通う保育園においても、沢山の子供たちと会いますが
瞳の奥を見つめるとその美しい魂を見ることができます。
私自身の子供も、非常に大きな澄んだ瞳の持ち主で、大変親切な子です。
私はずっと以前から「とびきりかわいい男の子が一人欲しい」と願っていたのですが、
私の願いそのままの子です。

これらの子供たちに限らず、私たち大人も含め地球人は本来、
「地球に生まれる」ということを「志願」してこの地球に降り立っています。

特別な子供たちでなくとも、私たち大人も地球にとっては「大切な」地球人
なのですが、では、なぜ大人は、大人の一部は大人になるにつれて不平不満ばかりの人生を送るようになったり、
他者の批判ばかりするようになってみたりと、生活が濁ってしまうのでしょうか。
それは、「自分自身の魂の偉大さを忘れてしまうから」で、
更に「自分自身を大切にしないから」に他なりません。
忘れてしまうのです。思い出しましょう !!!
私たちはこれらを思い出し、「地球人のしての生き方」について
学びなおし、新しい地球をこれら子供たちと作ってゆきたいものです。

一部のサイキックやシャーマンのかたがたは、地球のアセンションによって、
人間たちは二極化してきており、アセンションと共に進化する人間たちと
そうでない人間たちがおり、そうでない人間たちを「闇の存在」などと呼ぶ
場合がありますが、そのように「優劣」のように考えることで、更に二極化を招く
ことではなく、問題なのはむしろ人間たちがそれぞれの魂の「偉大さ」を忘れてしまっていることにあると
私は言いたいです。

人として、この地球に生まれて、何が大切か、と宇宙の真理に照らし合わせて考えたときに
二つのことが言えると思います。
それは、ひとりひとりが「魂の仕事を見つける」こと、おのおのの持つ、「使命」ですが、これを見つけるには
「自分が最も好きなこと」を考えればいいと思います。
あなたの魂は何をしたら喜ぶでしょうか。
そして「愛を知ること・表現すること」。

子供を育てる上でもこの2点を教えてゆく。
私自身も、現在3歳の子供を育てながら「人としてどうしてもやってはいけないこと」
を教えてやる、そして、好きなことを見つけるために「やりたいことは好きなだけやらせる」ことを
毎日、実践しています。
当たり前のことを言ううようですが、子供は大人の行動を見て学びますので
母親である私自身の行動をも、鑑みていく。

これから大人も子供も、「地球人」として本当の宇宙の真理と共に生きてゆく
人生を楽しみながら生きてゆく、そんな「楽しみな情報とやりかた・生き方」始めましょう。

 

 

 

麗ド・ラ・ヴァレットのブログ、次回の記事は
「フランス国王フランソワ・プルミエとレオナルド・ダ・ヴィンチ、アンボワーズ城」です。
お楽しみに。