ブロワ城とシックで閑静なその城下町。
Château royal de Bloisフランス城建築の魅力。
数え切れないほどの多くの王家の城・貴族の城があることで知られる、ロワール川流域。
全長1012km、流域面積は117000km²でフランスの面積の5分の1を占め、大西洋に注ぐこの川の流域と
そのロワール川流域には実に300あまりの城が立ち並び、
中流域の約200kmにわたって140の古城が点在する景観が2000年にユネスコの世界遺産に登録されています。
下はPont Jacques-Gabriel (ジャック・ガブリエル橋1716年から1724年にかけて建設された橋なのですが、長さ283メートル幅15メートル!!
今回ご紹介するBlois/ブロワ城とその城下町ブロワは、フランスの中西部に位置
ロワール・エ・シェール県の県庁所在地であり、
近郊に存在するいくつもの城へ行くことの出来るいわば「表玄関」ともいえる街で、
ブロワ駅から出発するバス(通称Navette/ナベット)によって世界遺産Chambordシャンボール城・
Cheverny シュヴェルニー城・ Beauregardボールガール城へ行くことができます。
ブロワ駅という名前を使いましたが、この「ブロワ」の駅2013年に「ブロワ」から
「Blois-Chambord(ブロワ・シャンボール)」という駅名にに変更になっています。
下がブロワ駅で現在はこの看板ではなく、Blois-Chambord(ブロワ・シャンボール)とグレーの文字に看板に変更されています。
電車でこの駅へ来てバスでシャンボール城へ行く人々の玄関ですから現在のほうがわかりやすいですね。
私が初めてこの城を訪ねたのが2012年のこと。
以降、このブロワ城で開催される「Son et Lumière/ソン・エルミエール」と呼ばれる光と音の祭典を見に出かけたり
コンサートを聴きに行ったりと何度ももリピートしている城です。
光と音の祭典について以前記事にしたことがありますので、まず始めにリンクを貼っておきます。
プロジェクション・マッピングって何? シャルトルの、アンヴァリッドの、
ノートルダム大聖堂の、アンボワーズ城の、音と光の祭典へ行こう !!!
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フランス建築の美しさに感動させられる、ブロワへの旅。
フランスの国とその様々な街の美しさは、
「フランスの建築」と「異なる時代・異なる建築様式の美しさ」を抜きにしては語れないと思います。
パリの街に建ち並ぶ美しいアパルトマン、オペラ座やルーブル美術館、エリゼ宮などの歴史的建築物。
ノルマンディー地方へ行けばその地方の特徴的な建築物、
また南仏においては赤茶けた色の、土のにおいのする別荘やホテルたち・・・。
全てが「建築の美しさ」を私たちの心に教えてくれます。
今日のブロワ城には、4つの異なる建築様式の建築物がひとつの中庭を囲む形で建っており、
それらを一同に眺めることが出来ます。
最も古い建築物は中世の城塞で、ブロワの歴代伯爵たちが10世紀に建築を始めたものです。
これは現在に残る、13世紀初めの非宗教的ゴチック建築としてフランス最大のものです。
下は正面玄関。
正面玄関の前には大きな広場と写真左手にはカフェ・テラスが。カフェの写真は後で載せます。
正面玄関、ルイ十二世像。
この城はルイ十二世の即位と共に王家のものとなり、ブロワの街とともに王国の首都・政治的首都として栄え、
以降100年に渡って王室の歴史を刻んでいた、王家にとって非常に重要な城でした。
ルイ十二世-フランソワ一世-アンリ二世-フランソワ二世-シャルル九世-アンリ三世-アンリ四世、また
アンリ四世の息子であり、ルイ十三世の弟にあたるオルレアン公ガストン公爵との
歴史を共に過ごしたこの城を見てゆきます。
ルイ十二世からアンリ四世までの統治時代と言っても非常に長い話になりますが、
フランス王シャルル八世が始めたイタリア戦争が、このブロワ城で誕生したルイ十二世によって引き継がれ、
フランソワ1世の時代に失敗に終わるまで継続、
更には40年に渡る内戦・カトリックとプロテスタントの宗教上の争い・ユグノー戦争(Huguenot)とまさしく激動の時代でした。
このブロワ城における出来事ではアンリ三世が宗教戦争中パリを離れることを余儀なくされ、
ブロワ城に滞在中、ここで三部会を開き宿敵ギーズ公アンリを暗殺。
この事件はこの城で起こった事柄として非常に重要なもので、
この城で毎年開催されている「光と音の祭典/Son et Lumière」でも時間を割いて音声とイメージで解説しています。
下は「光と音の祭典/Son et Lumière」の映像写真ですが、フランソワ1世煉に映像が映し出されています。
ギーズ公アンリ暗殺の場面。城内部の暗殺された場所も見ることができます。
駅から歩いて、あるいはバスで到着するとまずはこの風景が見えてきます。下にバス停が見えますね。
下の写真、「1429年4月25日、ジャンヌ・ダルク、ブロワに到着す。」
私はこの標識を見つけて感動のあまり、しばらくこの場所にたたずんでいました。
ジャンヌ・ダルクが1429年、オルレアンからイギリス人に向けて軍を出発させる前に、ランスの大司教から祝福を受けた場所がこのブロワです。
時は百年戦争の真っ只中。
百年戦争はフランスのヴァロワ朝とイギリスのプランタジネット朝がフランス王位の継承権をめぐって争っていた戦いで、
1429年2月23日に皇太子シャルル7世とシノワの城で接見したジャンヌダルクは
4月にTours(トゥール)それからこのブロワに滞在、
部隊を再編成、4月26日に大司教からの祝福を受け、再編成したフランス軍部隊を引き連れて、
イングランド軍に包囲された都市、オルレアンの解放に向かいました。
当時、ロワール渓谷の中心都市でもあるオレルアンはイングランド軍によって包囲され激戦地となっており、
「1429年5月のオルレアン包囲戦」といわれています。
この標識には4月27日にブロワを立った、とありますが、ジャンヌダルク、29日にオルレアン到着。
1429年5月7日に、オルレアンを攻め落とし、 翌8日にオルレアンを包囲していた英軍がオルレアンから撤退しました。
1429年5月8日、オルレアン解放。 ここからフランス軍の進撃が始まりました。
ジャンヌダルクが英国王、そしてフランス前線で指揮を執っていたベッドフォード公に向けて書いた有名な手紙
「Roi d’Angleterre et vous, duc de Bedford, rendez à la Pucelle qui est ici envoyée par le roi du Ciel,
les clefs de toutes les bonnes villes que vous avez prises et violées en France. 」
はこのブロワで書かれたと考えている中世研究家もいるようです。
中庭に入りました。4つの異なる時代の、フランス建築を一同に眺められる中庭です。
まずは全体像から。ブロワ城はゴシックとルネッサンスとバロック様式の建物が混合している非常に貴重な城。
1840年に国の文化遺産に指定されています。
Par Tango7174 [GFDL (http://www.gnu.org/copyleft/fdl.html) ou CC BY-SA 4.0 (https://creativecommons.org/licenses/by-sa/4.0)], de Wikimedia Commons
まず、下がルイ十二世棟。煉瓦と石で1498年から1501年にかけて作られたゴチックの「フランボアイアン様式」
更に、柱や壁、いたるところにフランス王室の百合の花、「Fleur de Lys」が施されています。
同じくルイ十二世棟。右手にはサンカレー礼拝堂。
下はフランソワ1世棟。
フランソワ1世棟を別の角度から。中央部分は螺旋階段です。シャンボールにも見事な螺旋階段があって有名ですが、こちらも負けず劣らず。
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