人生を幸せで満たしてゆく、魂が望む生き方。感謝について。

パリガイド

世の中には、「感謝」を強要する人々がいる。
理解はするけれど、私はこれに共感しない。

子供に感謝を強要する。
けれど、子供によってはなぜそれをさせられるのか、理解できないだろう。
そのようなものを強要するから、「裏」と「表」を使い分ける人間が出来上がるのではないだろうか。
それは社会を狂わせ、人間界を狂わせる。
人間に「裏」「表」が必要だろうか。
私は必要だとは思わない。それは、「砂の城」でしかない。

私は子供の頃、日本の学校教育や私自身の通っていた学校に対して
ひどい違和感を持っていた。

小学4年生で、学校の教室の机の前に座り、私は考えていた。
「この国は何かが狂っている」。

皆と同じく、起立、礼をしていすに座る。
教師が良いといって始めてノートをとることが出来る。

街へ出れば、皆が同じ流行のバッグを持っている。

「ここには私の居場所がない」ここは私の場所ではない・・・私は感じ始めていた。

当時の私に「感謝とはなにか」と聞いたら、それどころではないという答えが返ってくるだろう。

母親からはよく「あなたは感謝が足りない」と言われた。
私は自分の意見を言うので、様々な事柄、例えば学校教育について
母に「それはおかしいのではないか」というと
母はそれを「感謝が欠乏しているから意見するのだ」ととる。
説明するのに非常に時間を要した。

私は建前や、裏表や、「社会常識に沿っている立派な大人に見られること」には意味を見出せず
大切なのは「真理」だと思っていた。
社会常識に沿っている立派な大人に見せることも別に必要ならそれでもいいが、中に真理がなければ砂の城でしかない。
学校で宇宙の真理を教えないのは何故なのか。

私はのちにフランスの学校へ留学をした。
私の魂は魂の安らぐ居場所を見つけた。

今、私は私の命というものに、心の底から、感謝する。

今日、街の中で見知らぬ人から親切にしていただいた。
今日、公園へ行ったら、桜の花が咲き始めていた。
この地球で、こんなに美しいものを見せていただけて心から有難い。

今日、あなたとの時間を共有できた。
今日、あなたと一緒に食べたクレープがおいしかったね。

宇宙の時の流れの中で、同じひとときを共有するあなたがいる。
一緒に過ごした大切な時間を、これから共に過ごす大切な時間を、決して忘れないよ。

人間は孤独を認めてそれを受け入れ、なおかつそれをよく保ち、
成長してゆく使命を持っている。
その尊い時間を共有する仲間のいる、有難さについて
深く考えたときに、感謝は自然にわき上がる。

神様、1993年に高次元の光と共に降りてきてくださって
ありがとうございます。

地球で沢山の経験をする機会を与えていただいて
本当に感謝しています。

お父さん、お母さん、本当にありがとうございました。

この世に生まれてきて、本当に良かった。
私の元にも、あなたの元にも、必要な愛が行き渡る。
これが宇宙の真理で、宇宙に響き渡るその愛だ。

「感謝」とは、自身の命の貴重さをはっきりと認め、
自身の命を心の底から愛したときに自然と湧き上がる、命での賛歌であり、
宇宙との共鳴である。

誰もが、自身の命の貴重さについて知る必要があり
それを行動で見せてゆくのが大人たちの仕事である。

先日、ミラボー橋を渡った際に3羽の白鳥を見つけました。

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