人生を幸せで満たしてゆく、魂が望む、生き方。第三回。人生は毎日が誕生日である。

スピリチュアルなお話

はじめに:
昨日4月15日、パリにおいて、ノートルダム大聖堂の火災が発生しました。
私のブログでも今後、お伝えできることを記事にしてゆきたいと思います。
私たち夫妻も、この火災を悲しみ、またパリの人々が皆悲しんでいるのを見て、
大きな金額ではありませんが、ノートルダムに寄付をすることにしました。
ノートルダム大聖堂の今後の復旧を願いたいと思います。
本日の記事は、数日前に書かれたもので、通常通り公開したいと思います。

人生を幸せで満たしてゆく、魂が望む、生き方。第三回。人生は毎日が誕生日である。

 

2015年にパリで生まれた私の息子は先日、3月に4歳になり、家族で誕生日を祝いました。

息子の誕生については、ただ感謝しかありません。
私から息子に言いたいことも一言だけ、
「私を母として選んでくれてありがとう、生まれてきてくれてありがとう。」それだけです。

いただいたプレゼントを片端から試し始める・・・

私自身も間もなく誕生日を迎えます。

かつての私は、自分自身を大切にするということが出来ず、
人生とはただ「努力」をするものであると考えており、
自分自身の健康を犠牲にしてまで努力をしていたものでした。

自分の誕生日を祝うということさえおざなりにしていたものです。
私たち大人は時に、毎日の忙しさや、年齢を考えて
誕生日などどいうものを忘れてしまいがちでわないかと思います。

私も大人になってからは、自分の誕生日にプレゼントなどを
いただくと「こんないい大人なのに・・・」と言って遠慮しようとし
「受け取っておきなさい」などと言われていたものです。
なんというかわいくない態度だろうと思いますが、
そのような時期を過ごしてきたことも自身で許そうと思います。

我が子が生まれ、毎年、わが子の誕生日を祝ううちに
「私自身の誕生日を祝うべきだ」と理解し始めました。
誕生日、それは自身の生命を祝う大切な日で、
実は人間の暮らしは毎日が生命を喜び、愛でる大切な誕生日である、
と気がついたのです。

私はサイキックとして生まれてきましたが、1993年に決定的な経験をしました。
神様と、高次元の光をこの目でみたのです。
この世のものとは思えない圧倒的で強い光に包まれ
何もかもが変わってしまうような、根底から生まれ変わるような
強烈な癒しを受けました。

そのときに理解したことが、
「神様と高次元の光とは、ただただ、愛と光である」ということです。
そこには罪もなく、涙も恐怖もなく、
あるのは「愛」と「赦し」と「光」です。
何もかもが溶けてなくなってしまうほどの温かくて純粋な光のパワーで、
そこには他に何もありません。
「無」と言ってもいいでしょう。

私はその経験から言いたいと思いますが、
神様は「罰」を与えたり「裁いたり」は決してされません。
神様、それは「愛」と「光」です。

その経験をしたときに神様は私に話しかけてくださいました。
非常に個人的な話なので、ここでは省きたいと思いますが
私はそのときの神様の話し方を思い出しながら、自分に話しかけます。

麗、毎日よく頑張っているね。
よくやっているよ。
何も心配いらない。
失敗があってもいいんだよ。
人生を満喫しなさい。
人々と愛を分かち合い、愛しい時間を共有し、
地球の時間を楽しんでごらんなさい。
自分自身の可能性を追求してごらんなさい。
食べてみたいもの、やってみたいことを自分に与えてあげなさい。
そうすれば、内側から更に愛が満ちあふれ始めるだろう。

もうすぐ麗の誕生日だね。
欲しいものを言ってごらんなさい。
毎日を誕生日のようにいとおしんで生きてみなさい。

誕生日、それは私たちが各自の生命をいとおしむための一日であり、
人生は毎日が誕生日と言ってもいいのだ。

「麗」という名前の入っている場所にあなたの名前を入れて
あなたも、自分に話しかけてあげてください。
神様、という言い方に違和感があるなら、「愛」と言ってもいいでしょう。

私の誕生日当日。インターフォンが鳴った。
出てみると、「お誕生日、おめでとう、Rei !!」同じ建物に住む義兄の声だった。
結婚以来、毎年誕生日や結婚記念日を祝ってくれる主人の家族に感謝。

パリで見つける春・公園へ行こう。Jardin de Ranelagh(ラヌラグ庭園)と子供祭り。

パリガイド

パリで見つける春・公園へ行こう・第7回。Jardin de Ranelaghジャルダン・ド・ラヌラグ
こんにちは。 麗です。
今日は「パリで見つける春」と題して私が見つけたパリの美しい光景の写真からお届けします。

パリを散歩中に見つけた公園。後ろの建物はギマール建築です。
パリ16区の桜。


今日はパリ16区の「Jardin de Ranelagh(ラヌラグ公園)」という公園をご紹介します。
先日の土曜日のこと、「今日はリュクサンブール公園へ行って、
セナによるコンサートを聴いてから子供にマリオネットを見せよう」と思い
用意し始めたのですが、朝からクレープを焼いたり料理したりと
忙しくしていたのがいけなかったのか、途中で疲れ始めてしまいました。
すると、主人が一言。
「君、疲れているみたいだけど、リュクサンブールへいくのは辛いんじゃないか。
マリオネットだったら、16区のラヌラグ公園にもあるんだよ、知ってる?
僕が子供の頃には、僕の母親がよくラヌラグ公園のマリオネットに連れて行ってくれたものだよ。」

この公園はパリ16区のラ・ミュエット地区、ブーローニュの森に隣接する公園で、
パリ16区内にはトロカデロ公園・Jardin des serres d’Auteuilオートゥイユ温室庭園、
Jardin d’acclimatation アクリマタシオン庭園に次いで大きな公園です。
16区のラ・ミュエット地区ではかつて中世の時代から、歴代のフランス国王たちによる
狩りの習慣があり、1606年にはシャルル9世によって、王妃マルゴに贈られた城
「Château de la Muette 」ラ・ミュエット城に隣接する歴史ある公園です。
下の写真が「Château de la Muette 」ラ・ミュエット城。残念ながら入場は出来ません

規模や設備としては、以前ご紹介した「シャン・ド・マルス公園」に近く、
マリオネット劇場、メリー・ゴー・ラウンド、ポニーにキオスクと
ほぼ同じ設備を備えています。

これより次のページへまいります。「2」をクリックなさってください。

Giverny/ Claude monet/ジヴェルニーの春。クロード・モネの家の春。Fondation Claude Monet

パリガイド, フランス国内・魅力の旅行。

Giverny/ Claude monet/ジヴェルニーの春。クロード・モネの家の春。

フランスを訪ねる人々の多くが「1度は行って見たい」とあげる場所が
ジヴェルニーとクロード・モネの家ではないかと思います。
パリ郊外、豊かな自然とおいしい食べ物で知られる、
ノルマンディー地方の入り口とも言うべき場所に位置するGiverny/ジヴェルニーにある
クロード・モネの家「Fondation Claude Monet」
はクロード・モネが1883年から1926年まで住んだ家と庭があり、
クロード・モネの描いた絵画の風景を、
2019年の今日でもと実際にこの目で眺めることが出来る、特別な場所です。
モネ一家の使っていた家に、モネの使用していたアトリエへも足を踏み入れることが出来ます。
以前このモネの家を訪ねたときの記事へとまずはリンクを貼っておきます。

写真ギャラリー・GIVERNY・ジヴェルニーのモネの家。絵画そのままの花々の天国。

このモネの家、毎年3月22日から10月末までの公開で、冬の間はお休みです。
冬の間、敷地の手入れををしながら、次の春とその花々を待っているのであろう
クロードモネの家。
今年も3月22日に再オープンしましたので、早速行っていました。
3月の末にはどのような花々が咲き誇っているでしょうか。
なお、今回はモネの家で現在見ることが出来る「花々」に焦点を当てましたので
ほとんど全ての写真においてピントを「花」に合わせてあります。
あらかじめご了承ください。

ジヴェルニーへのアクセスには観光バス、自家用車、パリのサン・ラザール駅発のSNCF「Intercite」といくつかの方法がありますが
今回は「Intercite」に乗っていきました。48分。
駅全体図。


駅名が「Vernon-Giverny(ヴェルノン・ジヴェルニー)」ですが、列車が到着するのは、お隣のVernonヴェルノンの村。
Givernyはそこから数キロの場所に位置しています。
Vernonヴェルノンの村の人口が約2万3千。ジヴェルニーは人口約500の小さな村です。
「Vernon-Giverny(ヴェルノン・ジヴェルニー)」駅からはナヴェットと呼ばれるバスが出ていますが
2015年からはそれに加えて、ミニ・トレイン「Givernon(ジヴェルノン)」が走っています。
今回の私の旅の大きな目的のひとつがこのトレインに乗ってジヴェルニーを一周することでした。

サイトへのリンクを貼ってあります。

http://www.givernon.fr/

 

Le petit train(ル・プチ・トラン)はジヴェルニーとお隣の村・ヴェルノンの主要な
歴史的建築物を巡ってくれます。
下はle Vieux Moulin、中世の水車です。
この場所の歴史は1196年に始まっており、フィリップ・オーギュストが
攻め込んできた英国軍からヴェルノンとこの一帯を守るために
橋と城を作らせたといいます。

城は450年もの間、軍としての役目を果たしていましたが現在では、
その一部、通称Le donjon(ドンジョン)と呼ばれる部分が残るのみです。
当時の橋の一部がこの水車の下に見られます。
中世の水車はこの一帯、Vexin高原で収穫された小麦を挽くために使われていたものです。
かつては5つあったといいますが現在はひとつのみです。
クロード・モネが描いた「Maisons sur le vieux pont de Vernon」(1883)のモデルでもあります。

もっと他の角度から撮影したかったのですが、ル・プチ・トランの揺れで良い写真が撮れず、これしか写真を載せられません。この右横にはLa tourelle(Le donjon(ドンジョン)があります。

Givernyでは、セーヌ川の川幅もパリよりももっと大きく、天気の良い日には水面が輝いて圧倒されるほどの美しさです。

ジヴェルニーはこんなのどかな風景の広がる、緑の多い村です。
私が初めてこの場所に来たのは、もう随分昔のことですが
緑の多さと、次から次へと現れる田園風景の美しさに感動していたものです。
下の写真、何枚も撮影したのですが、なにせ激しく揺れるLe petit trainル・プチ・トランのこと
左の馬が切れてしまいました。ごめんなさい。

クロード・モネの絵にも見られる平原。みずみずしい緑はモネの絵そのままです。

ジヴェルニーはこのような素敵な一軒家が見られる村です。
クロード・モネの家裏手。モネの指示で塗りなおされたという緑色が印象的な扉。この配色、1度見たら忘れられませんね。
到着しました。

これより次のページへまいります。「2」をクリックなさってください。