フランス・ファッション考察。ファッションは偉大なアートだ。
これから私のブログでは、私が常日頃楽しんでいるファッションライフについても記事を書き、
私のファッション写真も公開してゆこうと思います。
世界の多くの女性たちと同じように
私も幼い頃からファッションが大好きで、「美しく装う」ということを楽しんでいます。
ファッションは美しいアートです。
私のファッション遍歴といえば、高校のときにジュンコ・シマダ、19歳でコムサ・デ・モード、
同じ時期にコムデ・ギャルソン、
21歳で初めてのシャネル・スーツを着ました。
現在はパリジェンヌ的に「メランジェ・スタイル」を楽しんでいます。
その名の通り様々なブランドを混ぜることですが
パリジェンヌ たちはこれが大の得意。
彼女たちの色彩感覚は非常に優れたものがあって
今日のファッションを決める際の「全体の色あわせ」の美しさは感嘆すべきものがあります。
なお、彼女たちの色彩感覚はパリの色彩感覚で、パリの街特有のものです。
例えば大阪のファッションのカラフルさを好む女性が
パリに来たら、「パリジェンヌはベージュばかり着ている」という印象を抱くかも知れませんが
パリにはパリの、大阪には大阪の、東京には東京の、更には
サントロペなどの南仏の街にはサントロペのファッションがあり
多くは、「その街」とその場所の「自然」全体の色彩に影響されていますし、
各国にはその国特有の「伝統色」もあります。
フランスの伝統色を知りたい場合にはグーグルで検索をかけてみてください。
日本のかたが書かれている非常に美しいサイトを見つけることが出来ます。
私はサイキックのひとりです。
サイキック能力が高く、それを仕事としている人、
やスピリチュアル教師の中にはファッションを楽しむ人々に対して
外見ばかり取り繕う人間であるとして
批判する人もいることを知っていますがそれは「ファッションを楽しむ」=「外見ばかり取り繕う」=
「中身がない」という偏見から来ているもので、更にそれを批判すると言う行為は、
その人物(スピリチュアル教師)自身の内部のエゴが投影されたものです。
事実は逆で、中身があるからアートを愛するのです。
(まあ、人間の全ての欲をわがままや知性の欠如として取り扱うのでしたら
中身がないと感じるのかも知れませんが・・・。)
平和を望んでいるのに実際には戦争をしているようなもので
「あの人はレスペクトが足りない」「あの人はここが間違っている」などと批判し
外部に意識を向けていることが、これまで地球に分離や闘争の意識を与え、
その意識が、地球に多くの不幸を作りだしてきました。
今、私たち人類はそのような分離・闘争の意識から卒業するときが来ています。
人間の魂は本来「愛」なのだと、偉大なのだと知り、深く感じてみてください。
ここで繰り返してはっきりいいますが、ファッションはアートです。
私はアートが好きだし美しいものを愛します。
私が「パリ」を自身の魂の在り処として選んだのはアートが好きだからです。
子供の頃にはステンドグラスを習い、ハーブを作り、
料理を始めていましたし、大人になってからは油絵を描き、これはまだ販売を開始してはいませんが
レジンによるアクセサリー作りも私の仕事です。
(このうち、油絵については、パリに来て多くの美術館で世界の巨匠の作品を鑑賞し
「これはだめだ」と筆を折りました。涙)
今年の夏にはカンヌで国際花火大会を楽しんできました。
これら全ては地球のアートです。
フランスの女性に話を戻しますと、
フランスの女性たちは、パリジェンヌたちは
いくつになっても、50歳になっても、60歳になっても「おばさん」とはとても呼べないような
スタイルとファッションセンスを持つ人々がいます。
もちろん、誰もが毎日100%完璧に着こなしているわけではないでしょうし
パリへ来られた方々は、場所によっては通行人たちが皆、地味で「フランス人たちは想像していたより地味」
と思われるかも知れませんがそのような場合には高級ブランドのあるストリートへお出かけください。
どんなに年齢を経ても、ファッションというアートを愛するこころ。
それを私たちは学びたいと思います。
今は人々が自由にこの地球を行き来し、その生き様を発信する時代です。
誰もが、「自分自身の存在がアート」と思えるくらい
ファッションを楽しみ、自分を磨き、自分を高める努力をし、
この地球の暮らしを楽しんでゆく時代だと思います。
あなたもこのアートを地球で楽しんでください。
私はこのパリという街、世界中から人々がやって来て
思い思いの美しいファッションを楽しんでいる、-時には
それは彼女たちの民族衣装だったりもする-
このパリという街をこの上なく愛しています。
今回の画像は全てpixabayからお借りしたものです。
今後、私自身の写真と差し替えていきます。