愛、その生誕を祝おう。Joyeux Noël. メリー・クリスマス。

パリガイド

愛、その生誕を祝おう。

 

その人は、フランスが「虐殺された我が妹」と呼ぶ国の出身だ。

彼女は彼女の国に革命的暴動がおきたその日に
どのような景色を自宅の窓から見たか、について私に話してくれた。

彼女はその暴動後にフランスへ渡ってきたという。

完璧で美しいフランス語を話し、澄んだ瞳を持つ人だ。

彼女と私たち夫婦は、私たちの義父の介護をしてもらうためのプロの看護婦か
プロの付添い人を探していて、そのような人を紹介する組織経由で出会った。

一昨年の秋から、主人の父・義父は体調を崩し始めていて
目に見えて衰えてきていた。
義父がその配偶者を亡くして2年、寂しさも大きく関わっていたのだと思う。

深夜に自宅のセキュリティ・アラームを間違えて鳴り響かす、
パジャマとガウン姿でふらふらと出歩くなど、日常生活への障がいも出始めており
医者の進めで私の主人がその父の「法的後継人」となったときに、
私たちは夫婦で協力して義父の日常生活全ての管理・健康管理と
財産管理までをすることになったので、私は主人に提案した。

私たちが、義父の家に住んで、毎日一緒に暮らしながら
義父の世話をして、私たちが各自の仕事・育児・あるいは教育機関への送迎の時間には
誰かプロの人を雇って義父と共に居てもらってはどうだろう、と。
楽な仕事ではないけれど、そうすれば、主人はその父親の最期までを共に過ごすことができて
もしかしたら、親子間であったかも知れないわだかまりや、行き違いを解消して
共に楽しんだ、家族の思い出を再度、楽しむこともできるだろうと
私は考えて提案した。

ただ、主人は、「僕たちは今、多くのやらなければならないことを抱えすぎている。
それに、全ての世話をしたら君の体がもたないだろう。僕の祖母の最期には
看護婦が24時間体制でついていたんだ。今回も人を雇おう」と答えた。

そこで、プロの人を探し始めて見つけたのが彼女だったのだ。

上にも書いたけれど完璧なフランス語を話す上に、
完璧な心使いの出来る女性だった。
彼女が部屋に入ってくるだけで、部屋の空気までもがやわらかく
明るくなる。多くの友人を持ち、彼女の祖国から移民としてやってくる人々を助けてもいるのだという。

私は彼女と、いろいろな話をしながら、
多くの苦難や多くの仕事を乗り越えてこられただろうに
その瞳の輝きを失うことも知らず、多くの話題をやわらかく話す
その彼女の心のあたたかさとその聡明さに感動しながら
真の人間として生きてゆきたいと考えていた。

彼女との契約は義父の死によって終了して
私たちは感謝の心をこめてプレゼントを渡し、義父の葬式以降には
もう会うことも無くなったけれど、
彼女は今でも何かの記念日ごとに心のこもったメールをくれる。

その彼女が昨日、クリスマス・プレゼントを届けてくれた。
遠慮したのか、私たちの建物の管理人に渡されたそれは
丁寧に抱えて持ってこられたのであろう花と、私たちの息子への
クリスマスカードだった。

義父が亡くなって既に半年以上経過している。
それなのに、私たちのことを心にかけてくれている、その「心」を私は思う。
彼女は誰に対しても、その「心」で対応するのだろう。
誰に対しても。

昨年の12月24日には、彼女は義父の家で、義父の世話をしていて、
私たちのためにクリスマス・パーティーの用意をしてくれて、その用意を終えてから
「これから教会で行われるミサへ、友人と行くんですよ。」と話していた。

私は、クリスマスを祝う習慣が好きだ。
キリスト教徒であろうとも、なかろうともクリスマスを祝う人々がいる。
イエス・キリストを慕う人々が居る。

冬の寒さ厳しいなか、毎日灰色の空を眺めながら暮らす中にも
クリスマス・デコレーションの「光り」がもたらしてくれる
私たちの心へのやすらぎは計り知れないと思うし、
一年の間、お世話になった人々との心の交流・愛の交流を持つことのできるこの日が
どんなに世界中の人々の心を、愛に立ち帰らせるだろうかとも思う。

ところで、私自身はキリスト教徒ではない。
更に、世界のどの宗教の信徒でもない。
でも、私は世界を旅すると、世界のどこの教会でも、どこの聖地においても
祈りを捧げてくる。

私はサイキックとして生まれ、子供の頃から他の人々が見えない領域を見てきた。

成長するにつれて、あらゆる宗教の本を読むようになり
宗教と宇宙の真理について、学びを進めてきた。

何故なら、私にはいつか、到達しなければならない
宇宙の真理と、この世の真理があると知っていた上に
そこに到達しなければ、今生を終えることは出来ないとも
知っていたからだ。
私は、宇宙の真理から学びを受け、宇宙の真理にダイレクトに繋がって行こうと決めている。
宇宙は、必ずや導いてくれることを知っているから。

その結果、私がだした答えが、私の魂はどこの宗教にも属さないが
全世界に居られる、神の真理と、宇宙の真理とを追求する
全ての宗教人と全世界の人々を愛することに決めたのだ。

だから、私はイエス・キリストと、キリスト教徒を愛するし
私自身も教会へ行くし、寄付もするけれど、キリスト教徒ではない、という位置を取っている。

私は思う。
けれど、イエス・キリスト(イエシュア・ベン・ヨセフ)はそんなこと、ちっとも気になさらないと。

私は信心深い両親の元に生まれたので、始めからこうではなかった。

けれど、宗教を理由に戦争を起こす人々がいる。
思想を理由に、殺し合いが起きている。
それを考えたときに、ならば、私はそれを理由に争わない人間でいよう、
そう考えて全ての宗教の教徒にならず、ただ全てを愛する努力を、と考えた。

「私の宗教が最も素晴らしい」「私の思想が最先端」
それは、そんなに大切なことなのだろうか。

「おたくの思想とわたしの思想は違いますね。これは新しい。
では今度、コラボしませんか?」これくらいの軽やかさがあっても
いいのではないだろうか。

私はなんだか、優越思想や、他者排除思想を見ていて
前時代の「化石」でも見ているような気分になってきた。

そろそろ、人類の頭の中を、それら歴史から洗ったらいいのではないか。

イエス・キリストをチャネリングする人々が居られる。

私は畏れ多くてイエス・キリストのチャネリングに挑んだ経験はないが、
トム・ケニオン氏のチャネリングによれば、イエス・キリストはこうおっしゃている。

「あなた自身は世界の博愛的な力、邪悪な力のどちらでありたいでしょうか。
あなたが今の人生を博愛的な意図から生きたいなら、
私はあなたを心から歓迎します。
みずからをキリスト者と呼んでいるかどうかは関係ありません。」
引用:トム・ケニオン&ジュディ・シオン「アルクトゥルス人より地球人へ」

イエシュア・ベン・ヨセフはおっしゃる。愛こそが真理であると。
お互いに愛し合いなさい。

それが、宇宙の真理の主だったものだ。
それこそがこの世の最も大きなパワーで、それだけが常に生き残る。

だから今日、この日には人々と愛の交流を持とう。
愛の言葉を、掛け合おう。
その場所には、愛がある。

イエス・キリストがこの地球に関して、そう望まれたように。

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です